抜き差しならない夢の中

性行為すら電流と信号を介して済ませる時代、志賀恭明(しが やすあき)は不眠症改善の為通っている、デジタルドラッグを処方する電剤師ロンダンに直接触れたい欲を孕む恋をしていた。
なかなか改善しない志賀の症状にロンダンは、自らも初めて用いるプログラムコードを提案する。『決まった相手とのちょっとエッチな夢でスッキリして眠れる』との効能にロンダンを期待した志賀がその夜見た夢は――。

※性描写はありますが現実のものではありません。


 いつ来ても歓迎されているとは思えない。
 はしゃいだ女の甲高い声も酔っ払いの高歌放吟も、電子音声ですら志賀しがの一歩で薙ぎ払われるように静まる。この街で、ネオンの原色をそびえる長身にまとい周りに目もくれず歩いていく強面の男を迎え入れてくれるのは目的の店の主だけだ。

「21時に予約の志賀恭明しがやすあきです」

 建築基準法、都市景観法、電子設備整備法、何らかの法には抵触しそうな建物の前で名乗る。店主は「いつでも入れるように」と虹彩認証の設定を提案し気遣ってくれたが、志賀はこの言葉を交わせる機会を失いたくなかった。

「ふふ、いつもながらご丁寧に有難うございます。
 開けてありますのでどうぞ上がってきてください」

 小さな液晶モニタの中で店主、ロンダンが微笑む。21時は営業時間内だったはずだが、他に客もいないのか暗い部屋の中ブルーライトを浴びて浮かび上がるその顔は今日も隙なく美しい。

◇◇◇◇◇

「また少し眠れなくなってる、んですね……。
 そろそろもう、デジタルの領域じゃないのかも」

 志賀から引き抜いたチップを解析しながらロンダンは眉をひそめる。備え付けのベッドに横たわり、挿入口を解放した状態で志賀は密かに憂わし気な横顔を堪能していたが、言葉は聞き流せるものではなかった。
 近年、主に脳や神経、メンタルなどの分野においては、頭蓋に挿入口を設置し、症状に合わせたプログラムを乗せたデジタルドラッグを活用する治療法が一般化している。ロンダンは機動隊に所属する志賀が上司から紹介された、不眠症改善を得意とする電剤師だった。

「……服薬は、業務に差し障る可能性があるので」
「そう、ですよね。そう……
 でもこれ以上の効きだと違法になっちゃいそうで、
 それはもちろんお仕事上まずいですよね?」
「自分で自分を取り締まることになるかと」
「あはは、私も道連れにしてくださいって
 言わなきゃいけないかな」

 笑うロンダンだが、志賀の症状が改善しないことで職業上のプライドが傷ついているのかもしれない。
 なかなか眠りにつけない原因は、志賀本人には心当たりがない訳ではない。おそらくは発散する術のない性欲のせい、俗な言い方をすれば『溜まっている』のがいけないのだろう。「デジタルの領域じゃない」は、そのあたりを察したものなのか、だとすれば欲の対象まで解析の手が及ばないことを祈るばかりだ。
 この直接触れ合わない時代、性行為すら電流と信号を介して済ませる時代に生まれながら、志賀はロンダンに肉欲を含んだ恋をしていた。就寝し、暗い部屋の中で思い浮かべるのはロンダンの、挿入口に優しく触れる指や、すっきりと束ねた黒髪が流れる細い首、そして見たこともないくせに衣服を剥ぎ取ったら現れるだろうなめらかで白い肌をまざまざと――絶対に実現しない妄想がまぶたの裏で志賀を苛む。安眠できるはずもなかった。

「今のものでも、何もしないよりは。
 継続でお願いしたい」
「効かないものを入れっぱなしにしておくのは
 本来の脳の機能を阻害する危険があるんですよ」

 たしなめる様に顔をしかめてみせるロンダンを、引き寄せて抱きしめ唇を貪りたい。昔の映画のなかで恋人たちが演じていたような、今では倒錯趣味と非難されるような触れ合いをロンダンとしたくてたまらない。
 こんな時は感情が表に現れない性質たちでよかった、と志賀は心底思う。ロンダンは割合早いうちから志賀の表情を読むことに長けていて、そんなところも好意を抱くきっかけの一つにはなったが、ひどい妄想の餌食にしているなどと知られ蔑まれるのは耐え難い。

「うーん……ちょっとまだ適用例の報告が少なくて、
 私も書くのは初めてのやつがあるんですけど
 試してみます……?」
「ロンダンさんが有効だと判断されるなら、お願いします」
「有効……
 たぶんまあ、そうじゃないかな、という予想で……」

 いつになく口ごもり視線を泳がせるロンダンは、心なしか目元を薄赤く染めているように見える。

「その、志賀さんは……
 決まったお相手はいらっしゃいますか……?」
「決まった相手、とは?」
「いや、あの、立ち入ったことをごめんなさい。
 嫌なら答えなくて構わないんですが、
 その……性的な交流を定期的に行うような……」
「いません」

 そうしたいと願う相手に問われて、言下に否定する以外に志賀が出来ることはなかった。

「そ、う、ですか。
 ですと、ちょっと効き目が読みづらくなるんですが、
 要はこれ、ちょっとエッチな夢でスッキリして眠れる、って
 コードなんですね!」

 軽く笑いながら言いつつもごまかせない赤面、上っ調子な声に志賀は内心動揺しながら答える。

「ちょっとエッチ、とはどのような?
 定期的に自慰、射精を行うのでは不足でしょうか」
「じ……、っ!?
 わ、かりません、でも、今のチップを解析すると、
 交感神経と副交感神経の切り替えが上手くいってない
 ところに原因がありそうなので」

 決まった人がいればその人が夢に出てきて、という展開だと思います、と消え入りそうな風情で説明するロンダンに志賀はまた澱んだ熱を煽られる。
 どうせならロンダンを夢に見られればいいのに。夢の中なら思う様その身体をまさぐって、淫らな妄想を具現化した触れ合いで欲をぶちまけたとしても誰に迷惑がかかる訳でもない。目が覚めた時虚しさに苛まれそうだが、ひと眠り出来た後ならきっとやり過ごせるだろう。

「では、お願いします」
「あ、は、はい! すぐ志賀さん仕様に書き換えます。
 もう少し横になっててくださいね。
 眠れそうなら寝ちゃっていいので」
「経過報告は必要ですか」
「ご面倒をおかけしちゃうんですが、
 新しいコードなので直接診たいな。
 明日同じ時間って、大丈夫ですか?」
「21時は……勤務中です。
 午前中の予約は可能ですか」
「じゃあ開店一番の11時、どうですか?」

 予定のやりとりをしながらロンダンは軽やかにキーを叩き、志賀のためのコードを紡いでいるようだ。夢に出てくるなどという不確かな幸運に期待しなくても、いつもより間を置かずに会える。その事実が安眠をもたらすのか、興奮により眠れない夜になってしまうのかはまだ分からないが、志賀は他人には殆ど察せない程度に表情を緩ませた。

◇◇◇◇◇

 これは、夢だな。
 確かにロンダンの店を辞して寮の自室に帰り就寝したはずなのに、数時間前まで横たわっていた簡易なベッドに逆戻りしている。本当に言われたような『ちょっとエッチな夢』が見られるのだろうか。
 ベッドに寝ている感覚はあるものの、身体は動かない。視点も固定されていて、これでは盗撮や防犯カメラの映像と変わらない。夢の中でも融通が利かないな、と志賀は自嘲する。色っぽい話などでなく、単純にコードが書かれた場所に意識が引き戻されただけなのかもしれない。

「……え、志賀、さん……?」

 ロンダンの声がする。どういうシチュエーションを想定した夢なのか、志賀自身は身動きがとれないままベッドに寝ているところをロンダンに見つかった、という場面らしい。試しに声を出そうとしてみたがそれもままならない。

「もしかして、……、……ですよね。
 ちょっと待ってください」

 声が近づいてきて、視界がロンダンの髪、それから目を塞ぐ手で埋められる。ベッドの上にかがみ、志賀に触れているのか。不粋武骨を地で行く志賀には縁のないような複雑な香りが仄かに漂い、やわらかな熱が近づいてくる。

「私の手の中で、一度目を閉じて。
 声をかけた時に開けてください」

 目を閉じる、そんなことが出来るのだろうか。志賀は半信半疑ながら、まぶたを下ろす動きをイメージする。一段階更に視界が暗くなった、ということは目を閉じることが出来たのか。

「閉じられました、よね。
 まぶたを動かせた、ってことは
 志賀さんはもうここで動けるはずです。
 目を開けてみて……そして起き上がってみてください」

 ロンダンの声がすぐそばで聞こえる。こんな距離で相対したのは初めてではないか、志賀は思い至り、離れる前にロンダンの顔を見たい思いに駆られ目を開ける。頭の後ろにそっと差し入れられた手で促され、身を起こし、触れない程度に目の前の身体に腕を回す。
 二人並んでベッドに腰掛け、吐息のかかる距離に洗い髪のロンダンが寄り添っていた。

「これは、夢、ですか」
「……あなたがそう思うなら。
 私を、求めてくれたんでしょう?
 夢の中なんですから、どうぞお好きに扱ってください」

 お好きに扱えと言われても、日々の妄想とは格段に違うリアリティで、日々のやり取りでは有り得ない距離のロンダンに志賀はどうしていいか分からない。
 本音を、欲をあからさまにぶちまけるなら、このまま公序良俗に反するような不埒なことをしたい。したい、が、こうも真に迫った振る舞いで志賀に身を寄せるロンダンに、一方的な暴力じみた行為など絶対に出来ない、したくなかった。

「優しいんですね。
 それとも……見かけによらず意気地がない、のかな」

 言うなりロンダンは志賀に向かって倒れ掛かり、身体全てを預けてベッドに押し倒した。ひと一人を辛うじて寝せておける程度のベッドは勢いよく乗ってきた成人男性二人分の重みに軋みを上げる。

「待っ、ん、ぅ……」

 締め落とすかのように志賀にのしかかり、ロンダンは見たこともないどろりと崩れ落ちるような笑みを浮かべ、赤々とした舌を見せつけながら唇にかぶりついてきた。こんな、口の中を探るようなキス――本当に口と口を接して交わすキスの経験など志賀にはない。手加減なしに口中を這う舌使いで志賀を翻弄しながら、ロンダンは器用に衣服を脱ぎ去っていく。

「私に、触れたかったんじゃないですか?
 舐めても、噛んだっていいんですよ」

 志賀の手をとり、自らの身体に這わせながらロンダンは誘う。挑発的な言葉とは裏腹に、思い描いていたとおりの象牙色の肌を上気の赤みで染めて震えるその様は志賀の下肢に急速に熱を凝らせた。

「ずっと、貴方に触れたかった。直接、こうして……」
「ん、んんっ……」

 そっと、顔にかかった髪を指で払いながら、志賀は再びロンダンと唇を交わす。ちゅっ、ちゅ、と吸い付く音をさせ、唇だけでやわやわとロンダンのそれを噛む。濡れた舌を滑り込ませて絡めながら、志賀はロンダンの手触りを堪能する。

「ねえ、志賀さん。
 私と……繋がりたくないですか?」
「繋がる、とは」
「あなたのコレ、私のナカに挿入れて……」
「アナル、セックスですか」
「ふふ、お若いのによくご存じで」

 ヘンタイですね。
 囁いて、楽しそうに微笑わらいながらロンダンは志賀のペニスを扱きはじめた。自分の雑な自慰とは全く違う、優しく緩やかながら的確に欲を引き出すその動きには、そう長いこと耐えられそうにない。

「あ……はぁっ、さすが、おっきくて、かた……っ」
「う……っ、あぁっ!」

 いつの間にか、ロンダンはその白い太腿を大きく開き志賀にまたがっていた。後ろ手に志賀のペニスを支え、アナルに押しあてたかと思うと一気に腰を落とす。
 そんなことをして、大丈夫なのか?
 志賀は狼狽え、キツくて熱いロンダンのナカを味わうどころではなく飛び起きた。

「や、あぁっ!
 志賀、さ……急に、あ、ぅんっ……」
「す、済まない、その……
 貴方が、辛いのは嫌だと」

 深々とペニスを埋め込みながらどの口が言うか。志賀は自省しながら、繋がったままのロンダンの身体を少しでも支えようと対面座位のかたちをとる。

「あぁっ、あ、あぁっ……
 しがさん、もっと……っ!」

 ロンダンはぺったりと志賀に体重を預け、小刻みに腰を揺すっている。いところを探しているのか、もどかしそうな焦れた顔に忙しなくキスを落としながら、志賀は大きく腰を突き上げた。

「あぁっ、ん、んんっ!
 あっ、あんっ、あぁ……っ!」
「こう、ですかっ!」
「うんっ、あ、あ、あぅっ、あんっ、
 きもちい、いいのっ……!」

 ロンダンが喘ぐ度、志賀のペニスは搾り上げられるようなナカの動きでどんどん追い詰められていく。二人の身体の間でロンダン自身は擦られ勃ち上がって、濡れた軌跡を残している。自分だけの快感ではない、と、志賀は嬉しくなってそれに指を絡める。穿つ動きと連動させて幹を扱けば、ひときわ上ずった声を上げロンダンは志賀にすがり付いてきた。

「このまま、ナカでイって……
 しがさん、射精して、奥にあついのください……っ」
「俺だけは嫌だ、貴方も……っ!」

 ベッドの軋む音、二人の間で肌がぶつかり合って立てる音、粘度のある湿った水音。揺れる身体に合わせて刻まれる周囲の音も次第に遠のき、強烈な白さと熱に飲み込まれながら志賀は射精の衝動に身を任せた。一滴残らず搾り取ろうと蠢くロンダンの身の内に、心臓を撫でられたような感覚を覚え思わずまたキスをする。
 夢が叶った夢を忘れたくない。夢を夢だけで終わらせたくない。強くそう思った。

◇◇◇◇◇

(よく眠れた……と言うべきなんだろうな)

 アラームの前に目が覚め、天井を眺めながら志賀は考える。感じ取れる下着の中の惨状だけは億劫だが、総じて『素敵な一夜』だったのだろう。
 問題は、数時間後にロンダンに会ってこのことをどう申告したものか、だ。ロンダンの顔をまともに見られる自信すらない。

 ロンダンとの昨夜の性的な交わりは本当にデジタルドラッグが見せた『ちょっとエッチな夢』だったのか、を志賀は疑っている。知識だけは一丁前、ままごとのようなバーチャルセックスの経験はあるものの、ロンダンに揶揄されたような若いに似合わない男性とのアナルセックスの実体験はないのだ。知らない感覚をああまで夢のなかで感じ取れるものか、昨夜のアレは志賀が妄想で作り出したロンダンとの行為ではなく、ロンダンと感覚を共有して起こったことではないのか。志賀はそう結論付けているが、関係の決定的な断絶、消滅を避けたいなら問わず黙っているのが賢明なのは明らかだ。

 だが叶うなら、志賀はロンダンと生身で同じことをしたいのだ。志賀の上司が「世話になっていた電剤師」と紹介したロンダンはおそらく志賀よりだいぶ年上で、普段の調剤やメンテナンスで接する優しく信頼できる様子には恋の相手として見てもらえる希望は全く抱けない。
 それが、昨夜の『夢』ではどうだったか。しどけなくほどかれて濡れた長い黒髪、煽り、なぶって志賀を翻弄する婀娜な表情、快感に蕩けてすがる熱い身体――あれが志賀の妄想と願望だけで生み出せるとは思えない。想像を絶する、としか表現できないあのロンダンに少しでも彼の意識が含まれているのなら、今度は本当に手をのばして触れる許しを請う。志賀は腹を括った。

 夜明けにはまだもう少しだろう暗い部屋の中で、志賀はまず下着の始末をつけるべく起き出した。小手先の言葉、策を弄したところで所詮は若造の浅知恵なのだ。であれば率直に聞き、正直に伝える以外に志賀が出来ることなどない。そう思い定めれば、あとは昨日の今日でロンダンに会える機会を楽しみにするだけだ。

◇◇◇◇◇

「11時に予約の志賀恭明です」

 結局ずいぶん早めに着いてしまった。志賀は仕方なしに周辺をぶらついてから店の前に立った。夜の歓楽街であるこの辺りは、日の高いうちは客を迎える構えになっていない。乱雑に投げ捨てられている廃棄物、元が何だったかも分からない動物の骨に群がるカラスをところどころで飛び立たせながら、志賀は口上を練っていた。「貴方の決まった相手になりたい」とまず伝えて、それからどうする? いや、最初は夢で起きたことの報告、そこにロンダンの意思があったかどうかの確認だろう。

「は、はい……っ! お待たせしました、今開けました!」

 少しの間があってから、どたばたとした雑音と共にロンダンが映る。まだ早かっただろうか、開店時間と同時の予約は少し遅れ気味に入店を求めた方が良かったのかもしれない。

「申し訳ありません、早くから」
「いえ! あの、……どうぞ上がってきてください」

 ロンダンの店が入っている建物にはエレベーターがない。あった時期もあった、のかもしれないが現存はしていない。他に入っている店は大衆食堂に雀荘、恐らくはいささか不埒なマッサージ店。初めてここに来たときは、警察組織に身を置く者が立ち入って良い場所かどうか、やや困惑を覚えたものだった。

「おはようございます」
「はいっ、お、はようございますっ!」

 出迎えてくれたロンダンの様子がおかしい。

「ロンダンさん」
「な、んでしょう……?」
「ボタンが、掛け違っています」

 常に一番上まできっちりと留められているシャツのボタンがずれて、妙な隙間が空いている。覗いている肌のやわらかさ、熱を志賀はもう知っている――というのはおめでたい妄想に過ぎないのかもしれないが、何にせよ目の毒ではある。

「す、みませんっ、お見苦しいものを」
「いや、そんなことは」

 慌てて直そうとするロンダンを眺め、志賀は確信した。やはり昨夜の『夢』は志賀ひとりから生まれたものではない。ロンダンも一端は知っているはず、でなければこんな、志賀の前では見せたことのない動揺を隠せずボタンの掛け違いに手こずるなどということは有り得ない。

「……自分が、しましょうか。
 貴方に触れることを許してもらえるなら」
「っ! ……意地が、悪いですね」

 昨夜あれだけ触れたのに今更、って言わせたいんですか?

 目尻を薄赤く染めて上目遣いに睨むロンダンは、確かに夜の名残を漂わせて志賀を責めていた。

「はい、じゃあもうお願いします!
 子どもみたいだって笑うなら笑ってください」
「……失礼します」

 顎をつんと上げて無防備に志賀に首元をさらし、ロンダンは目を閉じる。何故、そこで目を閉じるんだ。志賀は困惑し、混乱し、ボタンにかけるはずだった手でそっとロンダンの顔を包み、唇に触れるだけのキスを落とした。

「ん……っ! ちょ、ちが、ボタン!
 明るいうちから何してるんですか!!」
「昨夜のは、夢じゃなかった。
 貴方と……同じものを感じていた、んですよね」

 ロンダンが受け入れなければ、あの夜はなかった。そう認めて――安心させてほしかった。

「……説明しますから、奥へどうぞ。
 その前に、ボタンはお願いできれば……」
「あ、ああ、申し訳ない」

 見られていればいるで、緊張で手元が胡乱になってしまう。志賀は震える指で掛け違えのボタンを外し、「これでいいか」と問うつもりでロンダンを見つめた。

◇◇◇◇◇

「まず、そうは言っても当初の目的から診ましょうか。
 志賀さん、そこに寝て……いや、その……
 横たわって、挿入口を見せてください」

 昨夜二人が絡み合った狭いベッドを指し示し、今となっては違った意味を帯びる「寝て」という言葉に引っかかりながらもロンダンはいつも通りの電剤師の顔を見せる。
 志賀は言われた通り左のこめかみに作ってある挿入口を上にしてベッドに横たわった。チップの抜き差し時は動いてはいけない。常々言い聞かされているのに、手をのばせば届く位置にあるロンダンの腰を引き寄せ、腹に顔を埋めたい衝動を殺すのに苦労する。

「……ん、よく眠れたみたいですね。
 数値も改善してるし、コードがよく走った跡がある」
「ロンダンさんのおかげです」
「っ、あ~……うん……そう、ですね。
 私の、どっちか言うと『せい』かなぁ……」

 手で顔を覆ってぼそぼそとつぶやくロンダンの耳が赤い。

「よくないこと、だったんですか」
「よかぁないでしょう、たぶんこのコードは
 決まった相手のいる人にしか処方しちゃいけなかった。
 ……私も、受け入れるべきじゃなかった」
「嫌、だったんですか」
「……聞かないで、察してください……
 こんな、ナマのセックスが身に染みてる年増が
 志賀さんみたいな人と……」

 とうとう机の上につっぷして、ロンダンは呻く。年増、と聞いても釈然としないが『ナマのセックス』、つまり直接の性交渉に慣れている、そういう世代だと言いたいのだろうか。志賀としては期待を抱いてしまう新情報でしかないのだが。

「私を思い浮かべちゃったってとこが既にバグなんですよ。
 恋人なり配偶者なりで埋めるべきところに
 コードを書いた人間が入っちゃったんだと」
「恋人に、なってほしい人だから、ということは」
「……錯覚、勘違いです」

 錯覚なら、そうだと信じて疑わないなら何故感覚共有を受け入れた――抱かれたのか。嫌、ではなかった、と察しをつけるのも志賀の勘違いなのか。
 昨夜の今で、この距離に寄らせてくれるなら。

「昨日説明を受けた時から、
 ロンダンさん、貴方を夢に見たいと思っていました。
 好きです。
 自分、俺の、決まった相手になって下さい」

 思わせぶりも、駆け引きも性に合わない。手の内を伏せる気もない。志賀は手を挙げて丸腰を証すような気持ちで言い募る。

「貴方に直接触れたい。
 昨夜のことだって、許されるならじかにしたい」
「……それじゃ本末転倒じゃないですか……
 志賀さん、あなた眠らなきゃいけないから
 私の店こんなところに通ってたんでしょう」

 伏せた顔を隠す腕の中から、弱り切ったロンダンの声が漏れ聞こえる。あくまで志賀のことを案じるその物言いがどれほど志賀を喜ばせるか、分かっていないなら分かるまで伝え続けるだけだ。

「『エッチなことでスッキリして眠る』、
 貴方としか出来ない、処方を、してくれませんか」
「……志賀さんが、エッチとか言うのに慣れません」
「慣れるまで言っても……しても、いいですか」

 起き上がりそうになった志賀を手で押しとどめ、ロンダンはようやく顔を見せる。困って、動揺して、赤面しているその顔は、だが嫌がってはいないように志賀には見える。

「挿入口を開けっぱなしで動いちゃダメです。
 だから、そのままで聞いてくださいね」
「……はい」

 不承不承頷き、再び横になる志賀に「いい子」と声をかけロンダンは話し出す。
 いい子……? この人にとって俺は、そういう存在だったのか。志賀は内心困惑する。

「昨夜の、最中に私、あなたにヘンタイって言いましたけど」
「言われました」
「他人にどうこう言える立場じゃなくて……
 直接するんじゃないと、全然足りない、んですよ」
「じゃあ、俺と」
「あなたを! 若くて清潔な志賀さんを、
 巻き込みたくないんです……。
 私が軽率すぎました。昨夜のことは忘れてください」

 忘れられるものか。この口ぶりからは、ロンダンは志賀のことを『無理』とは思っていないことが窺える。若くて清潔な? そんな解釈は初耳だし、それを理由にロンダンとの未来が潰えてしまうならスケベのヘンタイと思われるほうが100倍ましだ。

「たぶん、思い出して眠れない夜が続きます」
「は……え?」
「もともと眠れない原因の大部分はロンダンさん、
 貴方がちらついてムラムラしたからだ」
「な……っ、何言ってるんですか!?」
「俺だって、昨夜のアレだけじゃ全然足りない」

 責任、取ってください。

 これくらいは、と勝手な解釈で、志賀はロンダンの手を取り指先に唇で触れる。途端に茹で上がったような顔色を見せるロンダンに対し、追撃の手をゆるめない。

「何が問題ですか?
 俺のこと、嫌いですか」
「嫌いな人とバーチャルセックスあんなこと
 出来る訳ないでしょ!?
 ……好き、ですよ。
 好きだから困ってるんですよ……」

 志賀の手を元の位置に戻し、そっと頭を押さえてチップを差し込みながらロンダンは言う。コードを書き換えている様子もなく再びチップを入れる、ということは、少なくとも『夢』で抱き合うのは許された、と思っていいのか。

「あんまり知られたくないんですけどね。
 情報は適切に開示する義務があるでしょうし、
 言っておくと私、元プロなんですよ」
「プロ、とは」
「男娼……って言って分かるかな……
 もうずいぶん前のことですが」

 言いながら横たわる志賀の胸に顔を埋めるロンダンの温かい吐息がくすぐったい。

「汚れてる、っていう人もいるし、
 仕込まれた感じが嫌がられたりもします。
 問題、でしょう? だから……」
「何か問題がありますか?」

 志賀は腹筋を使って起き上がり、胸から転げ落ちそうになったロンダンの頭を支え目を見つめる。

「今の、貴方が好きなんです。
 貴方が色々迷うなら待ちます。
 だけどなかったことには出来ない、しないでほしい」
「志賀さん……
 待たせてるうちに不眠症に逆戻りしそうですよね」
「そうかも、しれません」
「はあ……いい歳をして、私、惑ってばかりですね」

 責任、取らせて頂きますよ。

 わざと硬い声音で、唇を寄せながら囁くのに志賀はキスで応える。軽く吸いながら舌をしのばせようとするのには抗議の軽い拳が降ってくるが、それなら『夢』での、夜会えるときの楽しみにとっておくことにすればいい。

「貴方が添い寝をしてくれるなら眠れるかも」
「私は、添い寝で済ませられる気がしません」

 それならそれで大歓迎、と、いつかは身体で伝えられるだろうか。倒錯趣味の誹りを恐れて悶々と想いを澱ませているより、少なくとも好きだと折々口にできるなら案外不眠も解決していくのかもしれない。ともあれ『責任を取る』と言質は取ったのだ。

 後はもう心を捧げて、乞うだけだ。定まった照準に、志賀はどう見ても清潔とは言えない笑みを形作った。