番外編:那須ゆかりの仁義

 速足で通り過ぎざまに一応現状をチェックする。アイラインが少し滲んでいるものの、会社での他人との距離でバレるような状態ではない。
 だいたい電話越し、音声でしか人と相対しないというのに顔を作る必要があるのか? 那須ゆかりは定期的に抱く苛立ちと疑問に一つ溜息をついて蓋をした。

「あ、那須さん、お疲れ様です!
 そのままお昼でいいって言われました」
「え、あーしも?」

 化粧ポーチを携えてトイレに入ってきた、斜め向かいの席の与田よだに声をかけられる。昼食に出る前に化粧直しのつもりか、ちょうど自分が面倒に思っていたことを厭わないその様子に少し感心する。

「宮代さんが今のうちにどうぞって。
 こういうの直接になって楽になりましたよね」
「あ~……、な」

 ついこの間まで、ゆかり達の上長にあたる宮代善爾は女性と見るや恐怖し、会話も出来ない状態に陥る『まともじゃない』様相を呈していた。背の低いゆかりからすると見上げるような体躯を持ちながら、顔色を失くして必死に業務を遂行する様は哀れではあったが、面倒だったことは残念ながら否定できない。

「崎谷さんが来てくれて、宮代さんも普通になって
 ほんとによかったですよね!
 あたし真向かいで毎日拝んでますよ」
「おが……え?」
「だって純粋に顔がいい!
 それで仕事も出来るし優しいし……
 那須さん、仲よさげじゃないですか、
 なんかこう……進展があったりしないんですか?」

 崎谷樹がお客様相談窓口コールセンターに配属されてきた事情については、ゆかりと与田、他にもフロアの面子の大半が所属する派遣元から周知されている。個人の性的指向そんなことが本人の与り知らぬところで開示されている地獄のような状況で、健気なのかたくましいと言うべきか、崎谷はあからさま宮代に想いを捧げている。
 同じ情報を聞かされ、目にしているはずなのに、受け取り方によってこうも解釈が変わるものか。少しうんざりしながらゆかりは口を開いた。

「進展って、崎谷とあーしで?
 ナイナイ、子守りは家だけにしたい」
「え~、もったいないですよ~!
 那須さんと崎谷さん、すごい目の保養なんで
 ぜひもっと親密にですね」
「や、崎谷アイツだって困るだろ、
 そういう勝手な……」
「ゲイだって聞いてましたけど全然そんな風に見えないし!
 お互い独身なんですから……」
「……悪い、昼行ってくるわ」

 しこりを残しそうな切り上げ方だな。そう思うものの、上手いかわし方も思いつかず与田の顔を見ることなくすり抜ける。
 世の中の誰しもが『男と女の組み合わせで、恋愛感情だけを育てる』とは限らない、と、言葉を尽くしても恐らくは理解されないのだろう。より大きな波風を避けるには潮時だった。

◇◇◇◇◇

「めんどくせぇナァ……」

 キャラではない科白を万が一にも他人に聞かれる訳には、とゆかりは声に出さずに呟く。
 席で簡単に昼食を済ませ早めに昼休みを切り上げてもいい。そのくらいに思っていたがさっきのやりとりの後ではそうもいかず近所の神社のベンチに陣取っている始末。足元に寄って来る鳩も、ちらちらと見ていないふりで視線を寄越してくるこの場の常連らしき男たちも全てが面倒になり、耳を音で塞ぐべくイヤホンを突っ込んだ。

 崎谷のことは、嫌いではない。
 与田の言う通り何せ仕事が出来る。目配りが利き自社製品の把握も的確で、宮代への恋情プライベートで浮わつくことなく案外やりがいを持って働いている様子は子守りどころか頼もしいとすら言える。正直なところ、純粋な人手、戦力としては復調したとしても宮代より崎谷のほうが使える、とゆかりは判断していた。

 ただ、あまり理解は出来ない。ゆかりには身を投げ出すように宮代へ想いを寄せる崎谷が危うく見えて仕方ない。
 その甲斐あってというべきか、宮代の方も崎谷に向ける目が部下に対するそれではなくなってきているようには見える。だがそれはそれで、偏見と差別を根深く抱えた会社に知られてはまずい事態ではないのか。

 男性同士の同性愛と同じくらい、ゆかりにとって結局恋愛感情は他人ごとだった。子まで成した男に詰られてもそれは厳然たる事実だ。
 その分周りが良く見える目で、お花畑の最中にある二人を心配している。このところのゆかりはそうやって動いていたまでで、まさか崎谷との仲を云々言われるとは思ってもみなかった。

色恋沙汰そういうことじゃねんだわ、っての
 わかんねぇかナァ……)

 内心ぼやく。与田はともかく、宮代にどう見えているか、は少し気にかかる。仕事の上ではあまり評価できない、というのがゆかりの宮代評ではあるが、人柄を悪く思っている訳ではないのだ。
 崎谷にきちんと向き合って、年上の大人として分別を持って愛し慈しむ。それが出来ない男ではない、と思えばこそ、ゆかりの存在が不安要素になる事態は避けたい。

(めんどくせぇけど、話通しとくかァ……)

 『給料分だけ仕事をする』、それがゆかりの信条ではあるが、仕事の円滑化目的で人間関係の保全に努めるくらいのことはするのだ。

◇◇◇◇◇

「あ、那須さん。お疲れ様です」

 エレベーターが開くなり先刻までの思案の対象、宮代と行き合う。恐怖心を克服してからは言葉を交わす折々に穏やかな笑顔を見せるようになっている。
 本人の意向に関わらず若干の威圧感は否めない長身、体格に評価が分かれるところだが、一般的には容姿端麗と言っていいだろう素材に人当たりの良さが加われば宮代が崎谷と寄り添うのでも充分『目の保養』たり得るのでは。埒もない事を考えながらゆかりは口を開く。

「昼、先にどうもな。
 ……崎谷、まだなら一緒に行ったら?」

 途端に嬉しそうにゆるむ顔がまぶしい。

(もうちょっと、隠すとかねぇのかな)

 同い年だったはずの宮代の、あまりにも素直な様子にゆかりは鼻白む。それだけゆかりには気を許している、と思えば嬉しくないとは言わないが、それにしても……。
 なんかこういうでかくてもさっとして、いつも笑ってるみたいな犬いたよな、と本人には流石に言えない連想を繰り広げる。

「あーしと交代、って言ってくるから、
 アンタそのまま待っとけよ」
「ありがとうございます!
 崎谷くん一人だと、ちゃんと食べてるか心配で……」

 これはまたずいぶんと彼氏面である。彼氏、というよりも内容からすると母親のようだ、と言うべきか。
 来るべき健康診断、引っかかった時の産業医面談を懸念して宮代は、崎谷の増量計画を遂行中だ、とは聞いていた。
 正直ゆかりにしてみれば過保護では、と感じる。年齢も若いし、軽い方で平均から外れている分にはどうということもないだろうが、隣の様子を時折窺うに食に対しては相当雑、興味関心が薄いのは見てとれた。世話を焼く絶好の口実――宮代本人がそこまで意図してはいないのだろうが――として、宮代の中では最優先事項に位置付けられているのだろう。

「あー、体重増えたって?
 っても測る機会がないか……」
「体重計買って測ってるそうで。
 ただ増えてはいないみたいですね」
「そんなにすぐには増えねぇだろ。
 ちゃんこ鍋でも食わすしかねぇか」

 適当なゆかりの提案に大真面目に「ちゃんこだと今度は糖尿病が心配で……」などと返す宮代に、もはや呆れていいのか感心すべきかもわからない。
 しかしこの様子なら、宮代は崎谷とゆかりに何か、のような変な勘繰りに囚われることなどなさそうだ。宮代にもう少し大人の分別を持つべき、とゆかりが感じるのも余計なお世話、当人同士は上手く噛み合って心を通わせているのかもしれない。

「ま、本人と相談して一食分カロリー積んできな。
 今日今のとこはそんなに忙しくないしな」
「はい、なるべく早く戻りますけど」

 宮代の返事に後ろ手に手を振って、ゆかりは自席へ戻る足を早めた。与田の目は少し気になるものの、気にしても仕方がないことだ、と捨て置くしかない。

◇◇◇◇◇

「崎谷ァ、交代、メシ行ってきな。
 宮代クン、エレベーターんとこで待ってっから」

 通話はしていない様子の崎谷にゆかりは通り過ぎざま声をかけた。崎谷の机の引き出しには、自分が押し付けた幼児用おやつが死蔵されているだろうということを思い出したからである。早く今日の昼食の方針を決めてやらないと、そういったもので済ませてしまう可能性を漂わせ崎谷はモニターを眺めていた。

「えっ、あ、お疲れ様で、
 あの、……いいんですか?」
「交代だっつっただろ。
 宮代クン戻ってきそうだから早く行ったれ」
「はい! あの、ありがとうございます!
 なるべく早く戻ってきますね」

 二人して同じような反応だな、と少し可笑しい。経験上分かっている様子で崎谷は自分の容姿を上手く扱っている印象があるが、宮代絡みとなるとこうも喜色満面だだ漏れ状態になるのか。この顔を見てゆかりと……宮代以外とどうこう、などとは流石に、と与田に目をやると、赤面し口元を押さえて地団太を踏んでいる。

「……ちょ、何してんの」
「ごめんなさい那須さん、あたし間違ってました。
 崎谷さんが一番輝くのは宮代さんと……
 那須さんは応援団ポジだったんですね!」

 ポジ、とはネガの対義語の? 与田の言うことはゆかりにはいまいちよく分からないが、崎谷と宮代の間柄を把握してくれたならまあいい、のだろう。尊い、尊いと呟きながら崎谷の席に手を合わせる様には若干の不安を覚えるが。

「そっか~……宮代さんみたいなのがいいのか……
 ちょっと頼りないけど優しそうだしいいのかな……」
「ぶはっ!」

 頼りない。それだ、と得心がいく。年齢や体格、役職などのイメージからなんとなくその結論を出さないできたが、宮代は結局頼りないのだ。
 ただ頼りない様子は反面、傲慢に思うように人を動かすのとは対極な訳で、ゆかり達が現状やりやすい状態で仕事が出来ているのは宮代の頼りなさのおかげとも言える。

「その分崎谷がしっかりしてるからいいんじゃねぇの」
「あ~……それアリ寄りのアリですわ……
 いや、ヤバくないですか、
 BLあんまり興味なかったけど沼りそうかも」
「ぬま……え?」

 BLとは最近よく聞くボーイのラブというやつか。二人とも、特に宮代はボーイと呼ぶのは図々しいのでは?

「あ~……頼りない宮代クンも健気にがんばってる
 みたいだから、あんまいじってやるなよ」
「勿論ですよぅ、あたしは壁でいたい派なんで」

 与田と話していると自分が十か二十がところ一気に歳をとったかのような錯覚を覚える。ゆかりは些か疲れを感じ、業務を再開するべく席に着いた。
 思うに与田は、他人の色恋を観察することに楽しみを覚える性質たちなのだろう。当事者になりたいのではなさそうなところはゆかりと似ていなくもない。男性二人の恋模様を眺めて、差別的に嫌悪するでもなく間に割って入ろうとするでもない。『壁でいたい』という言を信じるならば、不用意に言いふらしたりする心配もないのだろう。
 100%信頼するには胡乱だが、ふわふわと危なっかしい宮代と崎谷がこの会社で暮らしていくのに、このくらいの温度の『味方』は一人でも多いに越したことはないな、ゆかりはそう思う。

 不遇な二人が出会ったことで、あんなにも嬉しそうに笑えるなら。日々同じ空間で過ごすゆかりとしては、それが長く続くように多少のお節介は焼くのが筋というもの。

(真っ青な顔して怯えてたり、作り笑顔で武装してるより周りも見てて気が楽じゃねぇか)

 あくまでも職場の環境整備の一環、と、誰に向けてか分からない言い訳を心中唱えつつゆかりはキーボードを叩き始めた。
 結局のところゆかりは、二人まとめて大切なのだ。本人たちに言う気も悟らせる気もないが、出来ることなら諸般の事情を気に病むことなくお花畑で笑っていられればいい、と願っている。

(それが目の保養、楽しみだって奴もいる訳だしな)

 与田を見やると、案外すぐに切り替えて既にご相談を受ける構え。頼もしいじゃねぇの、とゆかりは一人頬をわずかに緩め、午後の業務に着手した。