番外編:浦部真哉の共感

「05.宮代善爾の懊悩」の途中、一方そのころ……の内容です。

 どうしたらいいか悩んでいるのだろうな。それはとても伝わってくるけれど、自分がこんなに『しゅっとした』お兄さんの、何か助けになれるとは思えない。
 浦部真哉うらべしんやはせめて、と口を開いた。

「あの、僕ならほっといて大丈夫です、よ?」
「大丈夫な訳ないよ! いや、ごめんね。
 俺とじゃ気づまりだろうけど、宮代さんとお姉さん……
 君のお母さんは何か話があるみたいだし」

 気づまりなのはお兄さん……崎谷さんのほうだろうに。
 叔父の善爾は会社で困ったことになっていて、だからしばらく会えないと言われていた。困ったことは解決したから母は今日連れてきてくれたのか。休みに遊ぶくらい仲がいい、崎谷のおかげなのかもしれない。

「じゃあ、会社での善爾くんがどんなか聞きたいです。
 もう元気になったのかな……」
「ぜんじくん、て呼ぶんだね」
「はい、『おじさん』って呼ぶと善爾くん、
 返事しないんです」

 答えると崎谷は少し目をみはり、やわらかく笑った。真哉は安心し、確信する。

 崎谷さんは、善爾くんの味方だ。

 それなら真哉には、聞きたいこと、聞いてほしいことがたくさんある。善爾の、味方になってくれる人とは仲良くなりたいのだ。

◇◇◇◇◇

 だんだん育ってきて分かったことだが、ふつう少しぐらい年齢としが近いからって叔父は甥の面倒を善爾ほど引き受けはしない。
 実際伯父、母の兄の正義まさよしはたぶん真哉の顔も正確に覚えてはいないだろう。一年に一度も会わない正義と違い、善爾とは多い時で週に二、三日のペースで会っていた。父母共に不在――帰ってくる方がめずらしい父に加えて母の仕事の都合もつかないような時、家で共に過ごす真哉の保護者は善爾だったからだ。

「善爾くん、めんどくさくないの?」

 預けられていた夜、聞いたことがある。めんどくさい、と、うなずかれて放り出されても困ってしまうのだが、真哉の都合はともかく善爾はあまりにも便利に使われてはいないか。嫌だと思っているなら、正直に言ってほしかった。真哉はもう目を離すと危ないほどの子どもではなかったし、ひとりで時間を過ごすのがそれほど難しいこととは思えない。善爾の負担になりたくはなかった。

「んん? めんどくさい、って……真哉のことが?」
「僕の、めんどう見るのとか」
「いやー、結局あんまり面倒は見てないからなあ……。
 おれはね、役に立てるとか――必要とされるとか。
 そういう意味で、真哉といられるのは嬉しいよ」

 そういう意味、はよく分からなかったが、とにかく善爾は真哉をすごく嫌がっている訳ではなさそうだ。それなら少し踏み込んだこと、わがままを言ってみても怒られないだろうか。

「おじいちゃんがね、善爾くんと一緒にいるより
 うちに来いって言うんだ」
「おじいちゃん? ……あ~……」
「善爾くんだってお父さんと同じで、
 子どものめんどうなんか見れるわけないって。
 うちにくればもっとちゃんと……」
「さっきも言ったけど」

 珍しく善爾が言葉を遮り幾分強い調子で話しだす。何かしていたことを止め、真哉の隣に座り、気付かないうちに固く握っていた拳をそっと開かせてからその大きな手で包む。

「おむつ換えてたころならともかく、
 今は真哉に見なきゃいけない面倒なんかないよ。
 お前が行きたいなら止めないけど――
 いや、やっぱり、おれは反対だ」

 父さんよりはおれのほうがましじゃない?

 強く出たと思ったのに、すぐに元通りになってしまう。何故こんなに自信がないのか、祖父は当然のこと父ですら、善爾と過ごした時間ほど真哉に寄り添ってくれたことなどないのに。

「善爾くんがめんどくさくないなら、
 善爾くんがいい」

 言いながら隣の大きな身体に抱きついた。『まし』なんかじゃなく、善爾がいいのだ。自分があまり子どもらしくない子ども、周りの友達のように無邪気にふるまえない自覚がある真哉にはかなり勇気が必要な行動を、善爾はごくやわらかく抱き返すことで受け入れてくれる。

「宮代の関係者でおれがいいなんて言ってくれるの
 真哉ぐらいだからなあ……。
 おじいちゃんがいい、って言われたら
 だいぶへこんでたよ」
「お父さんより、善爾くんがいい」
「それは、ちょっとお義兄さんに悪いなあ」

 笑いながら言う善爾は知らないだろうが、父はたぶん真哉に興味がない。好きとか嫌いではなく、無関心なのだ。真哉自身はほとんどもう理解し、諦めていたがそれを口に出して伝えられるほど割り切れてはいない。善爾にわかってもらえるような言葉にするのも難しかった。

「……夕ご飯めんどくさい魚じゃなかったら
 ずっと善爾くんがいい」
「こら真哉。
 そこはめんどくささを楽しむんだ。
 というより材料を買ってる姉さんに言って」
「お母さんに言ったら怒られるから」
「そりゃそうだろうねえ……。
 まあ、だいたいの骨はとっとくから」

 大きくなれないぞ、って言ってもおれほどにはなりたくないよなあ、とさびしげに笑う善爾には、わがままを言えるような人がいるだろうか。
 自分がそうなるにはまだだいぶかかってしまう、それまでに誰か、善爾を、善爾だけを見てくれる人が出来るといいのに。真哉はまだ上手く言えない気持ちを込めて、もう一度強く抱きついた。

◇◇◇◇◇

「えっ、崎谷さん
 4月に会社に入ったばっかりなんですか?」
「そうです。
 ……色々あって、宮代さんの部下になって」
「いろいろ……崎谷さんも、困ってたんですか?」
「え? ……困っては、いないかな。
 宮代さんがいてくれたから」

 そう言う崎谷の手元、落ち着かない様子でストローを出し入れしているアイスコーヒーの氷は溶け、ずいぶん淡い色になってしまっている。
 真哉は近所に公園でもあれば、ぐらいに考えていたのだが、申し出たところ「ダメだ! 職質を受けて連れていかれたりしたら宮代さんに申し訳なさすぎる」と勢いよく却下された。結局ついさっき母と歩いた道を今度は崎谷と二人戻って、駅前のファミリーレストランに腰を落ち着け、証拠写真を善爾に送って一段落。時折跳ねるように盛り上がる、よくわからない会話を続けている。

「真哉くん、ほんとに何か頼まなくていいの?
 お店で出てくるものだし、
 俺が信用できなくても危ないことはないよ」

 メニューを渡しながら言う崎谷は冗談を口にしているようには見えない。

 この変なえんりょみたいな感じ、善爾くんに似てないか?

 真哉は呆れる。信用できない大人にこうもホイホイついてくる訳がない。訳がない、のだが、子どもの相手をし慣れていないのかどうにもおっかなびっくりな様子は善爾の自信のなさを思い出させる。似た者同士気が合って仲良くなったのだろうか?

「善爾くんと友達の崎谷さんが危なくないなんて、
 わかってますよ」
「友達……うん、まあ、友達」
「変な時間に食べるとご飯にひびくって言われるのと……
 これは、善爾くんにもひみつですけど」
「え……? 俺が、聞いちゃっていいの?」

 声をひそめて、さも大事な秘密のように打ち明ける。

「僕、甘いのよりしょっぱいほうが好きなんです」

 言い終えて、目を合わせて笑ってみせる。あっけにとられたような崎谷の顔にじわじわと笑いが広がって、真哉は予想が当たったらしいと嬉しくなる。

「……実は、俺もなんだ」
「善爾くんと来ると、自分が食べたいだけなのに
 デザート分けてこようとするんです」
「! 俺にもなんだ……!
 宮代さん、居酒屋でパフェ頼む人でね」
「崎谷さんにも食べなよって言うんでしょ」
「俺は……甘い酒ですら結構ムリなんですよ……」

 結構ムリ、と言いながら、それを善爾には言えず苦手な甘いものを食べていたのだろう。善爾を喜ばせたいのか傷つけまいとしたのか、自分も同じ状況なら同じことをするだろうな、と真哉は思う。
 子ども相手に時折混ざってしまう敬語に、善爾のことを話すときの思わずといった様子の笑顔に、崎谷の第一印象のスマートさはどんどん上書きされていく。仲良くなったばかりで、まだ今は少しづつ距離を縮めているところなのかもしれない。

 崎谷さんは、きっと善爾くんと一緒に歩いてくれる人だ。

 会えない間、善爾がひとりぼっちになっていないか心配だった。面倒を見られる子どもの身でえらそうな考えかもしれない。しかし感情が隠せず顔に出てしまう善爾を見ていれば、真哉が何かの足し、支えになっていたのだろうというくらいは察していたのだ。困ったことになった上にひとりぼっちかもしれない善爾のほうが、現実には何も変わることのない両親の問題よりも真哉にとっては大ごとだった。

「……なんか、ごめんね」
「? 何が、ですか?」
「真哉くんは久しぶりに宮代さんに会えたってのに、
 引き離して連れて来るみたいになってしまって」
「それは、だってお母さんと善爾くんが
 大人の話、ってのをしなきゃいけないから……
 僕は善爾くんの話ができるのうれしいですよ」

 嘘や、強がりではない。真哉はずっと、『善爾のことが好きな人』と善爾の話をしたかったのだ。
 母は弟である善爾を、もちろん嫌いな訳ではないだろうがどうもあまり大事に思っている感じがしない。祖父はもっとひどい。善爾がどんなにダメかということを真哉に教え込もうとしてくる。このところ、会えなくなってからは特にそれがひどくなっていて、祖父と会うことは真哉にとって苦痛でしかなかった。

「そう、言ってもらえると気が楽だけど……。
 会社での宮代さん、だったよね。
 俺が話すと、どうしてもひいき目になっちゃうけど」
「ひいき目?」
「あ、ええと、いい風に解釈……
 どんなことでも良く見えちゃうっていうか」
「そういうのを、聞きたかったんです!」

 身を乗り出す真哉に驚き、笑って、崎谷は「しょっぱいの、食べながらにしようか」とフライドポテトを注文してくれる。
 短い時間で、真哉はすっかり崎谷のことを好きになってしまった。見た目のままの性格だったら気後れしてしまうところだが、不思議にどこか頼りないような、真哉のような子どもにもおずおずと手をのばしているようなところが――かわいい、と思ってしまう。
 時折真哉の反応をうかがう様子に、できるだけの笑顔で応える。せっかく遊びに来たのに自分という邪魔が入ったのは申し訳ないが、今日偶然に出会えてほんとうによかった。きっかけ、としてだけは祖父に感謝したいぐらいだ。

◇◇◇◇◇

「真哉、崎谷くんと何話してたの?
 そんなに楽しかった?」

 母、真弓が今日4度目の駅までの道で不思議そうに聞いてくる。真哉は力強く頷きながら、一方話の内容はあまり教えたくないな、と思ってしまった。わかってくれる崎谷と出会えたからには、あまり共感してくれない母と善爾に関する話をしたくない。

「楽しかったから、ひみつ」
「ええ? まあ、いいけど。
 善爾はともかく崎谷くんに
 あんまり面倒かけないようにね。
 ……上司の親戚の子ども、ってだけなんだから」

 母によると崎谷は善爾の友達ではなく部下、一緒の会社で働いている『だけ』だそうだ。友達ではない、ということを妙に強調するような言い回しがひっかかる。

「遊びに行くときはちゃんと宿題とかやってからよ?
 言われた通り事前に連絡して……」
「だいじょうぶ。
 僕も友達にしてほしいから、いい子にします」

 やっとまた会えるようになった善爾とも、幸運な偶然で出会えた崎谷とも、できればもっと仲良くなりたい。一番大きなわがままを通せるなら、面倒をかけない、聞き分けのいい『いい子』でいることは何の苦もないことだ。

 子どもなら許されることを得る為に、考えなしに子どもでいる訳にはいかない。真哉は決意し、腹を括る。

 好きだと思える人に、少しでも好きになってもらえるように。自分がどうしたいか、どうなりたいか。それだけだ。