04.選定の儀

「緊張してるか?」

 キリの耳に息を吹き込むようにしてカナンが囁く。緊張していない、と言えば嘘になるが、カナンのこれは自身の緊張をごまかすためか、キリへの配慮か。どちらにしろかえって落ち着かない。

「してるのと、してないのとで、何が変わるんだ」
「なんだよ、やな言い方するなぁ。
 せっかくおれがやさしく肩の力を抜いてやろうと
 心を配ってるってのに」
「心配りをする気があるならおとなしくしてろ!」

 習わしだとしてしこたま飾り付けられつつある頭も、どう装着したのかもうわからなくなっている衣装も、不慣れで窮屈な状態が緊張を増幅する。キリはカナンの分まで心配で胃が痛む思いだというのに、カナンは常と変わらない奔放ぶりだ。

 選定の儀は森の中の、最奥に小さな池がある洞窟で島の男性のみが集まって行われる。女性は儀式のあいだ森に立ち入ることを禁じられ、それより前の段階の聖獣候補と魔女候補の身支度を整える役目を担っている。
 これも現代の標準的な感覚、キリが普段学校で教わっていることなどから考えるとおかしなしきたりではあるのだが『そういうことになっている』として事態は進められていた。島の住民、常に島で暮らしている者がそもそも減っており、女性はいまやふたりしかいない状況も『女人禁制』がまかり通っている要因のひとつかもしれない。

「理不尽だ、と、思うことはないんですか?」

 支度をしてもらう合間にキリは長老の妻、ヒジョに聞いてみた。自分だったらこんなに面倒な装飾や衣装を世話して、肝心の儀式には参加させないと言われたら腹が立つだろうなと思ったからだ。

「ええ?
 いやだ、森になんかそう行きたいもんじゃないよ。
 男衆だけで済ませてくれるなら楽でいいわ。
 アイル……あんたの母さんがもし島にいたら、
 文句のひとつも言ったかもしれないけどねぇ」
「えっ、キリの母ちゃんってそんな感じなの?」
「いや、俺もあまり……そんな感じ、かどうかは
 よくわからない」

 出稼ぎの両親が島に帰ってくるのは年に数回、共に過ごした時間の少なさで言えばキリもカナンと変わらない。たまにしか会わないふたりにはにこやかで楽しそうな印象しかなく、ヒジョの言う、文句を口にする母の姿は上手く想像できなかった。

「儀式が無事終わったら、
 あんたの両親のこと、少しは話してやれるから。
 ……ヒタムを許してやってね」
「じいちゃんを許すって、
 キリの親に何かした、ってことか?」
「カナン、おとなしくしてな!
 あんたにもまだ何も話せないんだから」

 長い髪を結いあげてから飾り付けしなければならないのに、カナンはヒジョの言うことに引っかかり、抗議の声を上げながら頭を動かそうとする。キリが慌てて止めるまでもなく、容赦なく耳を引っ張ってカナンをいなし、ヒジョは言葉を継いだ。

「キリ、あんたが親と過ごす時間の引き換えに
 この島を保てた。今はまだ、謝らないよ」
「いや、謝ってもらっても……
 何に、かもよく分からないし。
 俺は、そんなに嫌だと思ってないです」
「だってよ、ばあちゃん。
 ちょおっと親に冷たいんじゃっ、て
 気もするけどなー。
 産みの親より育てのガラム兄って?」
「そうかもしれない」
「あらら、ガラムが聞いたら泣いちゃうかもねぇ。
 あの子にとっても、あんた達の面倒見ることで
 寂しさが紛れたんだろうと思うけど」

 寂しかったのは、ラダが島から去ってしまったからだろうか。キリ達にとっては一番身近な大人、見上げる存在のガラムだが、ヒジョにとっては今も「あの子」だということが少し可笑しい。

「はい、できた!
 どうだい、動けそう?」
「……なんとか……」
「キリ、軟弱だな!
 おれなんかこれで走って来いって
 言われても全然いけるぜ」
「何馬鹿な事言ってんだい!
 頭に乗せてある花や果物は
 全部お供物なんだからね。
 ちゃんと池までお届けするんだよ」

 ばしっ、とカナンの背中に食らわせた一撃でサラックが一つ落ちて転がっていったが、ヒジョは頓着せず支度に使った道具や椅子、台を片付け始める。

「では、行ってきます」
「ああ、気を付けて。
 村のほうはあたしらに任せておきな」
「ら、って……ふたりしかいないじゃん。
 結局元気なのはばあちゃんだけだし」
「それはあんたが今気にすることじゃないだろ。
 ほら、行った行った!」

 最後はずいぶん慌ただしい出発になってしまった。キリはカナンと顔を見合わせ、森へと足を向けた。飾り付けられた身体は重いが、あまり悠長な歩みでは洞窟に辿り着く前に日が暮れ切ってしまう。

「キリ、ちょっと待って」
「カナン……
 急がないと選定の儀に主役がいないことになる」
「まあ焦るなよ。
 急ぐからこそ、の道案内を呼ぼうぜ」

 言うなりカナンは唇を尖らせ、歪め、ちゅ、ちゅと音を立てる。自分がカナンと唇を交わすときを思い出させるその音に、キリは少し動揺し地面に目を落とした。

「うわっ!?」
「なんだ、そんなには来なくていいよ。
 洞窟まで案内してほしいだけなんだ」

 地面にはすばしこい動きを見せるねずみが10匹あまりも集まっていた。カナンの言う道案内はこいつらのことか。キリはかがんでねずみたちに声をかけるカナンの隣に腰を落とし指を伸ばしてみる。

「キリ、急ぐんだろ!」
「あ、ああ」

 おかしい。何故結局自分のほうが急かされているのだろう。釈然としないながらもキリは慌てて立ち上がった。その拍子に今度はランブータンが転がり落ちる。

「じゃあランブータンこれが案内代ってことで、頼むな。
 キリ、見失わずについてくぞ!」
「わかった」

 ともあれ、これで迷わずに洞窟まで辿り着けそうだ。選定の儀を終えてここへ戻ってきたら、ふたりはもうそれぞれ聖獣か魔女かになっている。

◇◇◇◇◇

「キリ、カナン!
 迷わずに来られたか!」
「ガラム兄、誰に向かって言ってんの?
 目ぇつぶってても来れるって」
「まっすぐ歩いて来たよ、大丈夫」

 心配して洞窟の中から迎えに出てきてくれたのだろうか。儀式にあたっての拵え、顔を隠す垂れ布を一旦まくり上げて頭に乗せたガラムが声を上げ、大きく手を振っている。
 目をつぶっていても、は誇張表現だが、まっすぐ歩いて来た、は嘘ではない。ねずみの道案内は人間にはなかなか困難を強いるものだった。森の入り口から洞窟までを結んだ最短距離を無理やり歩いてきたせいで、所要時間は短縮できたが身を飾る花や果物はいくぶん減ってしまっただろう。

「……きれいに支度してもらったな。
 さあ、中でみんな待ってる。早くおいで」

 目の前に立ったキリとカナンをしばらく眺め、ガラムは垂れ布を戻しながらそう言った。洞窟へ戻るべく背を向けたガラムに従って歩を進めながら、キリはさっきのヒジョの言葉を思い出す。育ての親として、自分とカナンの姿を感慨深く見てくれているのだろうか。儀式だからか、今日は上半身に着衣のないガラムの背中は、キリが密かに憧れる筋肉の隆起を見せている。

「ガラム兄、ほんとに泣きそうなんじゃ?」

 肘でつつきながらカナンが囁いてくるのにキリは「そんな訳あるか」と答え背中を押して歩みを促す。口を開けた洞穴に一歩踏み入れただけで、身体を取り巻く空気が変わった。単に温度が下がっただけではない何か――荘厳な、厳粛な。ふざけていられるのはここまでだ、という境界線を踏み越えた感覚。恐らくはキリ以上に感じているのだろう、カナンは一転鋭角的な顔の輪郭を見せ、先に立って歩きはじめた。

「ふたりが着いたか」
「はい。こちらの用意は」
「すぐに始められるぞ」

 篝火の光が満ちた洞窟の奥。ガラムが短く長老と言葉を交わし、池を取り囲むように座っている大人たち、中にはほとんど顔を合わせたことがない身体を縦にしているのがやっと、といった老人も含め全員が「応!」と声を上げる。この奥まで辿り着くと、周りの温度がずいぶん上がっていることにキリは今更気が付いた。飾り付けられた頭の髪の毛の間を汗が伝っていく。隣を見るとカナンも髪を結われあらわになった額に汗を浮かべていた。

「カナン、キリ。
 お前達は池に身を浸して。
 ゆっくりと、足が立つところまででいい」

 長老が垂れ布の向こうから指示を出す。ガラムも座る大人の輪に入り、他の者たち同様、身体を揺らしながら膝を打ちはじめる。皆揃いの垂れ布、サロンを身に付け、拍を刻みながら唸りとも歌ともつかない声を上げ始める大人達にキリは圧倒され、怖れを抱いた。池へ、と、言われたのに足が前へ出ない。

「キリ」

 微かな、キリにだけ聞こえるような声でカナンが名を呼ぶ。同時に手を、一度強く握られ、そっと引かれた。握り返して、一歩を踏み出す。少し汗ばんだカナンの手のひらが、キリを支えてくれる。もう足がすくむことはない。

「池に、身に付けてきた供物を捧げなさい」

 みぞおちの辺りまで池に浸かったところでまた長老の声。捧げる……せっかくなんとか留めて飾り付けてもらったものだが、ここで外して池に浮かせていけばいいのだろうか。逡巡するキリを追い立てるように、周りの声、拍子はうねり、圧を増していく。
 ふと、濡れた手で頬を撫でられキリは目を隣に向ける。とろり、と、見たことのない顔で微笑うカナンが、教えるようにひとつ、ふたつとキリの頭から供物を取り、池に浮かべていく。キリの手をとり、自らの頭に導いてカナンはまた微笑った。吸い寄せられるようにキリはカナンの真似をして供物を捧げる。マンギス、ドゥク、ブンガ・ラヤ……ふたりの身体の周りに浮かんでいるそれらが、少しずつ池の中心に流れている……?
 いつしかキリはカナンとふたり、周りの拍子に合わせて次から次へと供物を流していた。カナンの髪はすっかり垂れ落ちて、先のほうは水に浸かってしまっている。ヒジョが鮮やかな手並みで布を身体に巻き付け仕上げてくれた衣装もすっかり崩れて、蛇のように池の中心へ流されようとしていた。

 

「カナン!」

 流れは急激に勢いを増し、渦となった。すんでのところでカナンの腕を掴んで池から出たキリは目を瞠る。捧げた供物も衣装も渦に飲まれ見えなくなって、池の中央には渦の目のようなものがはっきりと現れていた。長老は? ガラムは? 周りを見渡しても皆何事もないように膝を打ち、声を上げ続けている。刻まれた拍に呼応して篝火の火が脈を打ち、熱波が顔に間断なく吹き付けてくる。カナンを抱き込み、その頭をかばいながらキリは声もなく立ち尽くした。誰もこの事態に気付いていないのか。目隠しをしているからと言ってもこの熱さ、水音で気付かないのは――目の前の光景がキリだけのものだからか?

「キリ、来るよ」
「カナン、お前にはこれ、見えてるか」
「見えてるし、感じてる。
 ほら、池を見てみろよ」

 腕の中のカナンから、池に目を戻すと眼前には螺旋状に巻き上り、次第に高まっていく水の柱が表れていた。回転を速め、篝火を吸い取り巻き込んで、水柱は洞窟の高い天井めがけてじわじわと伸びていく。熱波から一転、霧のような飛沫が次第に大粒の水のつぶてとなってキリの顔にぶつかりはじめ、目を開けていられない。たまらずカナンを抱き込んだまま伏せ、背中で水を受ける。一瞬後に高く離れたところで破裂の水音が響き、滝のような水が降り注いできた。平手で叩かれ続けるような背中に当たる水の勢いはなかなか衰えを見せない。身体の下で身動ぎするカナンを感じてもまだ身を起こす訳にはいかない。

「雌雄は決した!」

 唐突に朗々と、長老の声が響いた。水は……気付けば雫すら落ちてきていない。身体を揺さぶるように刻まれていた拍も止んでいる。キリは身を起こし、辺りを見回した。池は元通り、奥のこの空間に足を踏み入れた時のまま静かに水を湛え、篝火の明かりを映している。

 どういうことなんだ……?

 キリは混乱した。あの渦は、篝火を巻き込んで高く伸びた水の柱は一体何だったのか。幻なら、一体どの時点から? しかし『ただの幻』では、キリとカナンの身体から供物の果物、花も、ヒジョ手ずからの衣装も取り去られ、ふたりが今下履きひとつでうずくまっている有様の説明がつかない。そして『雌雄は決した』というのは、つまり――。

「キリ、もういいから。
 おれの上からどいてくれ」
「あ、悪い、すぐ、……っ!!」

 キリの身体の下から這い出て、おもむろに濡れた髪をかき上げたカナンのその瞳には、断ち割ってすぐのブア・ナガの染みるような紅に似た鮮烈な虹彩が現れていた。

「聖獣はキリ、魔女はカナン!」

 長老の声が遠く聞こえる。目を固く閉じてもカナンの瞳の色が焼き付いている。
 何故。そんなはずは。否定の声はもう上げられない。キリは次の満月の夜にカナンを暴き、穿ち、熱をその身に放って貪り尽くさなければならない。『島の意思』はそう答えを出したのだ。