03.仮宮の朝★

 閉じたまぶたを貫いて朝の光が入ってくる。こんなに光が強くなっているってことは、とキリはあわてて飛び起きた。学校へ行かなくていい、となるとどうも気が緩んでしまう。

「カナン! 寝過ごした、起きろ!」
「……べつに、ねててもよくないか……?」
「だめだ。
 夜明けとともに沐浴ってのが……」
「あしたからでいいじゃん……。
 きょうはどのみちだめなんだからさあ」

 本来なら、仮宮で共寝をしはじめたら毎朝夜明けとともにふたりで沐浴し、身を清める習わしだった。確かにこれほど日が高くなってしまってはカナンの言う通り「どのみちだめ」かもしれないが、そんなことでいいのだろうか。

から
 だいじょぶなんだろ、きっと」

 大欠伸でカナンは言う。半分寝ぼけたような有様での言葉だが、カナンがそう感じるなら『島の意思』からしたら些細なことなのかもしれない。

「明日はちゃんと起きよう。俺も気を付ける」
「ん。この時間だともう暑いしな」

 どこまでも利己的な科白を吐き、カナンはまだ起きて活動する気配もない。沐浴は明日からだとしても、今日このままぐずぐずと寝ている訳にもいかないだろう。結局まだカナンの勉強は想定の範囲まで終わってはいないし、八重のジュプンを採集して油に浸し、香油を作っていく務めはさっぱり進んでいないのだ。

「ほら、起きろ! 手を貸してやるから」
「あの、な、キリ。
 ちょっと、今起きるのは、違うとこが起きてて」
「何を言ってるんだ、ほら!」

 勢いよく掛布を剥ぐと、寝る時に身に着ける簡易な下履きひとつのカナンの姿。少し決まり悪そうに、だが寝起きで素早く動けないのかキリの眼前に投げ出された身体は、下履きを押し上げる隆起を見せていた。

「……ごめん」
「いや、謝られる方がつらい。
 コレだから、まだ布かけてて。
 なんとかしちまうから……」
「俺が、しようか」

 反射で声をかける。キリ自身は朝起きるのに苦労した経験はないが、知識としては目覚めてから機敏に行動できるまで時間がかかる体質について心得ている。カナンがそうなら、兆してしまった下半身の処理もキリがしたほうが手早いかという提案だった。

「しようか、って……
 キリ、おまえ、何言ってるか分かってんの?」
「嫌ならしない」
「ばか、嫌とかじゃないけど……
 なんで急に、そんなこと」

 カナンにしては珍しく、迷い、言い淀んでいる。なんで、と理由を強いて挙げるなら、まず効率、それから儀式に向けてこれまでより深く触れ合うことへの躊躇いをなくしておきたい、といったところだろうか。

「カナンを知りたい、から?」
「……分かった。
 おまえに聞いたおれがばかだったってことが分った」
「……?」
「涼しい顔してムカつくんだよ!
 ……でも、キリに触ってほしい」

 言いながら腕を伸ばしてくるカナンに向き合って座り直す。自分にはあまり起きない現象を改めてしげしげと眺め、下履きに手をかけると、手首をつかんで制止された。

「やめるか?」
「触ってほしい、けど、あんま見るなよ」
「……難しくないか?」
「おまえの難しさよりおれの恥ずかしさを優先しろ!」
「恥ずかしい、のか」
「もー……ひとりでちんこ固くして、
 それをキリに触らせて恥ずかしくない訳ないだろ。
 っても、おまえにはわかんないかなぁ……」
「俺は、朝そうなることが少ないから
 珍しい、ような気がする」

 珍しい、というより興味深いとでも言えばいいのか。キリはそして、カナンの勃ちあがった性器が自分の中に挿入はいってくるときはどんな感じなのか、と想像する。
 選定の儀が済むまでは分からない、とは言うものの、キリは魔女に決まった自分が聖獣のカナンに身を捧げる儀式しか思い浮かばない。本能的に『島の意思』を感じ取り、動植物とも心を通わせることができているようなカナンが成人男性として肉体も成熟させていくなら、キリは島に生きる生物として自らの身体をカナンに供するだけだ。それはキリの、誰に強いられることもない心からの望みでもある。

「握るときだけ見ていいから、
 あとは口ふさいどくからな」
「口をふさぐ? 目じゃなくて?」

 不思議に思い傾げた首をおもむろに引き寄せられ、口をふさがれた。カナンは少し開けた唇でキリの薄い唇全体を押し包み、軽く吸ってそっと離す。至近距離で絡む視線を外すこともできず、覗き込んだ目玉の中には間の抜けた顔をした自分が映っている、とキリは可笑しくなってきた。カナンも同じであるのか、眠気はとうにどこかへ飛んだ様子でにんまりと笑う。

「これなら、目もふさげるだろ」
「確かにな。じゃあ触るぞ」

 下履きをずらし、固くなったものを手に収めると「もういいだろ」と顎を掴まれた。了承の意を見せるべく目を閉じ、指は性器の形をなぞりはじめる。閉じたまぶたの向こう、手にも、びくりと跳ねた後身を寄せるカナンの気配が伝わってくる。

「おれだけじゃやだからな」

 言うなりべろりと唇を舐められた。驚いた拍子で開いた口にカナンの舌が忍び込む。ゆるゆると口腔を探る舌に、手に擦り付けるような腰の動きに促されて、キリはできるだけ丁寧にカナンの性器を扱く。心がけて手淫に集中しなければ、カナンの唇と舌、髪を梳いて頭を撫でる手に夢中になってしまいそうだった。唇にふさがれてくぐもった声も、少し粘りを伴ったような水音もどちらのものかもうわからなかった。

「っあ、あっ、キリ、もう射精る……っ」
「ん、わかった」
「ちが……っ、手ぇはなせって、あ、んっ……!」

 もう射精るとの自己申告に従って手の動きを速めたが違ったのだろうか。カナンは結局絶頂の瞬間には口をふさがれていない状態でキリの手に吐精した。少しうわずって掠れ、とぎれとぎれになった聞いたことのない声音にキリは動揺する。息を整えるためかキリの肩に頭を預けて俯くカナンの体温は、いつになくキリを落ち着かなくさせた。

「カナン、その、平気か」
「……これ、朝やっちゃだめなやつだ……
 気持ちよすぎてばかになる」
「そう、なのか?」
「お返し! っておまえのもしてやりたいけど
 夜にとっとくな。覚えてやがれ」
「ああ。覚えておく」

 こんなに鮮やかな印象を残したことを忘れる訳もないのだが、と思いながらキリは掛布で手を拭った。出がけに川で洗って干しておけばいいか、と計画しつつ立ち上がろうとしたキリを引き留め、カナンは視線を導くようにゆっくりと目を閉じる。

「……んっ……」
「……違ったか?」
「んん、正解」

 舌を絡めるような深いくちづけに慣れるにはまだ時間がかかりそうだが、軽く唇を重ねるのはもうふたりの日常になってきた気がする。カナンも同じ気持ちだろうか、と二度三度唇をくっつけたら「いい加減にしろ!」と手で口をふさがれた。どうもカナンが察してくれるほどには自分はカナンのいいように動けていない。キリは反省し、謝罪のつもりで手のひらにくちづけた。

◇◇◇◇◇

「おお、やっと降りてきたか」

 かけられた声にふたりしてぎくりとする。日も高くなった今ごろ、カナンの家の前で出くわすことを全く想定していなかった、島の長老に声をかけられた。すぐ後ろにはガラムもいて、長老に見えないよう、キリとカナンには見えるように百面相をしている。何か伝えたいことがあるのか、とカナンを見ると肘で小突かれた。ひとまずはしおらしく、長老の話を拝聴するしかなさそうだ。

「じいちゃん、こんな時間に何してんの」

 こんな時間になったのは誰のせいか、を考えたらとても口にできないような失礼な物言いである。長老とカナンは、実際の血縁関係こそなくとも祖父と孫のような間柄だ。しかし、と言えども、もう少しは発言に配慮があって然るべきではないだろうか。そんな思いでキリはカナンを肘で小突き返した。

「お前達に伝えておくことがあったからな。
 待たせてもらっていた」
「キリの家にも行ったんだぞ?
 もしかして花を採りに行ってた、なら
 しょうがないけど」

 言いながらガラムがまた百面相をしている。表情の意味はわからないが、花を採りに行っていたという好意的な解釈は誤りで単に寝坊しただけだ、とキリは正直に申告しようと口を開いた。途端にカナンに足を踏まれる。

「あー、そう、それ! まだ八重が見つけらんねぇけど」
「そうかそうか。熱心なようで嬉しいぞ。
 ガラム、お前達よりだいぶ真面目かもしれんな」
「……そんな大昔の話……
 島で何かすることで、カナンと比べられちゃ
 たまんないですよ」
「はは、悪いな。年寄りの繰り言だよ」

 長老は軽い調子で過去に言及したが、ガラムとしては触れられたくない部分ではないのか。キリは心配になりガラムの顔を窺い見た。視線がぶつかると笑ってみせるその表情が心なし苦いような気がして、キリはどういう顔を作ればいいのかわからなくなる。

「で? 畑にも行かないでおれらを待ってたなら
 よっぽど大事な話じゃないの?」
「カナン! 大事な話なんだよ!」
「そうだな、大事な話だ。
 カナン、キリも。選定の儀を終えたら、
 決まった方の先代に会って話を聞くように」
「……決まった方、というのは、
 魔女だったらガラム兄に、ってことですか」

 一応は呼びかけられたのだし、会話に参加した方がよいだろうか、とキリは口をはさんだ。先代の聖獣である人物についてはどう聞いていいのか、上手く言葉にすることができなかった。

「そうだな、キリ。
 そして聖獣に決まったら、一度本島に渡り
 先代……ラダに会いに行ってもらう」
「俺が連れて行って、一応紹介なんかはするから。
 子どもにはそうおっかない顔向ける奴じゃないから
 心配するな」
「えぇ、おれやだよ。
 そのラダって人に来てもらうんじゃダメなのかよ」
「カナン!
 教えてもらうのに、来いなんて言えないだろ」
「キリは嫌じゃないのかよ?
 だいたい教えてもらうったって……
 おれとおまえでやることやってお務めすれば
 それでいいんだろ?」

 そこはキリも少し訝しく感じる部分だ。これまで聞かされてきた儀式の手順、流れに先代から何か教わる、話を聞くというような工程はなかったはず。もし昔からの決め事なら、ガラムがふたりにそれを教えない、伝え忘れるなどということは考えられない。

「……ラダは、儀式を終えた後島から離れてしまった。
 私達は今度こそ、儀式を終えても変わらない
 お前達でいられるよう手を尽くさなければと思っている」
「それなら余計に、よく知らない人に話聞くより
 キリと仲良くしてるほうが大事じゃねえの」

 カナンは力なく呟き、俯いてしまう。島の中では縦横無尽に駆け回り、伸びやかに暮らしているカナンだが、島の外に出ることは頑なに拒む。推測される生まれ、島で育てられるようになった経緯から推察すると無理のないことかもしれない。キリはそう考えてきたし、ガラムや、長老だって同じ思いでカナンを守り育ててきたのではなかったのか。
 わずかな憤りと、使命感のような気持ちでキリはカナンの肩を抱いた。儀式のためと言われれば拒絶するのは難しいのかもしれないが、できる限りカナンが苦しくないように行動したい。

「カナンが聖獣に決まった時は、
 俺も一緒にラダ……さんに会いに行っていいですか」
「キリ……」
「あー……わからん、駄目、とは言わないだろうが
 もしそうなったら黙ってふたり連れていこう」

 来ちまったものを無下に追い返すようなことはしないだろうからな。そう言うガラムからはラダへの信頼――好意と言ってもいい気持ちが透けて見えるように感じる。それなのにふたりは今共に歩いてはいないのだ。
 カナンを支えるためだけでなくキリ自身も、ラダが何を思い島での時間と決別したのか聞いておきたい、と強く思った。

「キリが一緒なら行く。
 でも、悪いけどキリが聖獣だったら
 おれはガラム兄だけに話聞くからな」
「構わんよ。
 ガラム、ラダが出した条件も
 『聖獣に決まった者に会わせろ』だけだったんだろう?」

 キリ、カナン、ガラムのやりとりを静観していた長老が鷹揚に頷いてみせ、ガラムに確認の問いを投げかける。

「はあ、まあ。
 この条件があいつにとって何かメリットがあるのか
 俺にはよくわかりませんが……」
「……ラダにはラダの思いがあるんだろう。
 では、私は失礼するよ。
 カナン、勉強は早く済ませてしまいなさい」
「わかったよ……もうあとちょっとだって。
 な、ガラム兄!」
「ちょっと……?
 まあ、ちょっとにしてみせてくれるんだろ?」

 普段の調子を取り戻し軽い応酬を交わすカナンとガラムを見て、長老はキリの頭をひと撫でし立ち去った。
 長老は、父母共に島の外に出稼ぎに行っており、一人で生活しているキリにも親身に接してくれるが、カナン程近しい間柄とは言えない。カナンを頼む、というような気持ちなのだろうか。それとも儀式を無事に務め上げることを期待している?
 漠然とした不安が胸に広がるのを自覚して、キリは数回強く頭を振り、カナンとガラムの舌戦の仲裁にかかる。

 どうしたって選定の儀は明後日の夜。転がり始めてみなければ、何も見えてはこないのだ。