02.西日の強い街

 刺すような西日をやわらげようと目を細め、ガラムは本島に降り立った。行き交う人波や車、普段の島の生活にはないものに辟易する。悪臭、騒音、他人のぴりついた感情の気配――用事がなければ来たいところではない。

 こんなところに住んで、暮らしていける奴の気が知れない。

 とは言え、『こんなところ』のほうがましだ、と思わせたのは自分かもしれないという事実がガラムを苛む。たった一度だけジュプンの香りにうかされた中で身体を交わし、二度と手が届く距離に近寄らなくなったガラムのただひとりの聖獣、ラダには、街の劣悪な環境より島で生きることのほうが耐え難かったのだろう。一昼夜の間幾度となく熱い昂りに穿たれ、迸りを注がれ続けたガラムの身体は未だに20年前に留まったまま、抱かれることも抱くこともなく冷めきったままだ。

 唐突に、肩にぶつかられた衝撃がガラムを揺らした。それなりの痛みに眉をしかめながら振り返ると、この国では少し珍しいような大男。街中で体躯を誇示するように上半身に着衣はなく、左腕の肩から肘にかけて俗っぽいカラフルな刺青が見える。

(ここじゃ目立っちまって、面倒なことになりそうだ)

 目的地とは逆方向になってしまうが、少し後をつけて片をつけるしかないだろう。大男はガラムの財布をすっている。
 ガラムにぶつかった後は不思議と器用に人を避け、大男は周囲に気付かれない程度に足を速めている。ただのごろつきなら次々と人にぶちあたり、因縁をつけるなどがあってもおかしくないところ。それをさほど充実している訳でもないガラムの財布一つですみやかに立ち去ろうとしているのは、財布の中身を高く見積もっているのか、それともということか。

 何にせよ、少し憂さ晴らしの相手になってもらおう。島で兄とも親とも言える曖昧な立ち位置で接しているふたり、キリとカナンと同じ年頃の少年が果物の屋台を出しているのに近づき、忍ばせていた紙幣を握らせて囁く。

「今通り過ぎて行ったあのガタイのいいお兄さん、
 果物好きそうだろ? 呼び戻してみたら?」
「はあ? ん、まあ、やってみるけどさ。
 厄介ごとはごめんだよ」
「俺、そこの路地で待ってるから。
 上手く呼んできてくれたら帰りに俺もなんか買うよ」
「あんた果物なんか食べそうには見えないけど」

 少年は吐き捨てながらおもむろに鉈を取り出しシルサックを一つ割り「甘いよ甘いよ~! そこの大きな兄さん、夜遊び前にどう?」などと呼ばわる。ふりむいて自分を指さしてみせるあたり、そう性質たちの悪い人間でもないのかもしれない。だからと言ってスリ被害を容認はできないのだが。

「じゃあ、頼むな」

 大男の目につかないようさりげなく、陰った路地に入り込みながらガラムは言う。街で売られている果物など食えたものではない、が日頃の信条である。少年相手に口約束を反故にするのも、という部分は、喜びそうにもない相手への手土産扱いでどうにかするとしよう。

◇◇◇◇◇

(しまった、やり過ぎたな)

 結果、すられた財布は無事戻った。何故ガラムを狙ったのか、ガラムという人物を知ってのことか、という問いには「知らねえよ、頼まれただけだ!」という返答。依頼主については答えを得られないまま結局逃げられてしまった。少し質問の仕方に問題があったのかもしれない。
 はなからさして期待はしていなかった事情の解明は今はあきらめるとして、さて現在地はどこなのか。少年の果物屋までの道すら見失い、暗い路地の中ガラムは途方に暮れている。

「あー……ちょっと、すいませーん……」

 周囲の住居に声をかけてみても返答がない。時間を考えると家主が夜の歓楽街に働きに出ている留守宅ばかりか。闇雲に歩いた結果が現状であることを思うと、どの方向に足を向けたものかも決められない。齢36にしてガラムは現在迷子中だ。

「これだから街は嫌いなんだよ!」

 ぼやいて頭をかきむしり、転がっている木箱に座り込む。仕事に出る前、と指定されていた約束の時間はとうに過ぎてしまっているだろう。こういう形で嫌がらせのような態度を見せたい訳ではないのに、結果としては迷惑をかけてしまう。
 キリとカナンが羨ましかった。自分達はどこで間違えて距離ができてしまったのか、時間が経ちすぎてもうわからない。

「うおっ!?」

 胸ポケットにそう言えば入れていたスマートフォンが振動し、ガラムは飛び上がった。普段は専ら発信に使っている。存在を忘れていた文明の利器を慌てて取り出すと画面には約束の相手の名。記憶にある限り初めての着信だ。

「はい、悪い、今な……」
『ガラム、君は馬鹿か。
 どうせ道に迷ったんだろう』
「馬鹿って! ……っ、まあ、その通りだけどよ」
『そのまま動くなよ。途中何があったか覚えてるか』

 呆れたような声音。だが顔が見えない分、裏にガラムを案じる気配が感じられる。離れて暮らすようになってからはついぞなかったことだ。

「学校行ってるくらいの子どもがやってる
 果物屋、屋台があって……」
『君は馬鹿だな?
 そんなもの夜にはいなくなってしまうだろう』
「………うるせーな、ラダ。
 お前が聞くから答えただけだろうが」
『もういい。
 今探しに出ているところだ。じっとしていろよ』
「え……そうなの? ほんとに?
 ……ありがとな」
『君が素直だと気持ちが悪い』
「あっ! とにかくお前のとこ行くのとは
 逆向きに歩いた! それは覚えてる」
『わかった。それだけ知れれば充分だ』

 通話は切られ、耳には街の喧騒が帰ってくる。ガラムは自覚なしに強く握り、耳に押しあてていたスマートフォンを見て苦笑する。

 ラダ。俺の聖獣。

 少し優しい声を聞いただけで、あの頃に戻れるかもしれないなんて錯覚を覚えてしまう。そんなこと、ある訳がないのに、と、ガラムは些か乱暴に立ち上がる。
 ラダと自分は、キリとカナンのようにはなれなかった。それだけのことだ。

◇◇◇◇◇

「なんか……落ち着かねぇな」
「君が遅れたからだろう。我慢しろ」
「まあそうなんだけどよ……」

 通話の後さほど間を置かずガラムに辿り着いたラダは、既に出勤する支度を整えた状態だった。折り目正しいシャツをカフスまできっちり留め首元には蝶ネクタイ。身動きするたびぬめるようなつやがあるベストは黒、それなのに不思議と暑苦しい印象を与えないということは、元々色素が薄く軽やかな印象のあるラダによく似合っている、のだろう。
 ラダは島を出て以来カジノのディーラーとして働いている。欧米のDNAが見て取れるラダは受け入れられやすいのか、それとも語学力によるものかはガラムの知るところではないが、外国人相手に場を仕切る手腕は所属のディーラー随一とのこと。定期連絡の為たまに街に来るガラムの耳にすら評判が届くのはよほどのことだ。

「で? いつ呼ばれるか分からないんだ。
 手短に頼む」
「お、おう。ええと、だな。
 次の満月に儀式をやることになったから」
「儀式!? 聖獣と、魔女の……
 あんなことを、まだやろうってのか!」

 カジノの控室、簡易な椅子を蹴倒してラダは声を荒らげる。ドアの外に慌ただしく駆け寄ってきた足音へ「すいませーん、ちょっと物落としちゃって」と軽い調子で声をかけ、ガラムはラダに向き直る。

20年前おれたちのときのように、
 島を嵐にさらす訳にはいかないだろ」
「! しかし、あの時は……!
 結局私たちの儀式に効力がなかった証拠だろう」
「儀式が駄目だったのか、その後がまずかったのか
 今となっちゃ検証のしようがないじゃねえか」
「だからと言って、15歳の子どもにまたあんな儀式を
 強いていいことにはならない」
「強いて、はいないさ」

 儀式に効力がなかった、儀式を強いる。言葉の端々からラダがかつてそれをどれほど忌避していたか、今も後悔しているのだろう心情がまざまざと伝わってくる。ガラムのほうは、たった一度の儀式の上での交わりを後生大事に抱えているというのに。しかし今更そんなことを伝えて、更にラダを悩ませたくはなかった。辛うじて月に一回程度は会ってくれる時間まで失いたくない、とガラムは思う。

「今15歳の男子がふたりしかいないからな。
 もう儀式の内容、聖獣と魔女でやることは
 とっくに教えてある。
 ずっと仲良く育ってきたまま、抵抗はないみたいだよ」
「……法治国家とは思えない、人権無視だ。
 幼いころからの洗脳でそう仕向けたに過ぎない」
「今のところは、あの島は治外法権だろ」

 ガラムは嘯く。キリとカナンが嫌悪を見せるようなら、長老はじめ島の重鎮を説得なり、多少の実力行使なりで儀式を回避する道を模索するつもりはあった。しかし儀式の内容を伝えられた時、ふたりは顔を見合わせ、どちらからともなく寄り添い笑いあっていたのだ。
 自分とラダとは全く違う。決められた儀式の手順などがふたりに影響を及ぼしはしないのだとガラムは感じ、ひどく、喉が干上がるように羨ましいと思ってしまったことを覚えている。

「まあそんな訳で、さ。
 次の満月の夜、その前数日は、
 外国人とか様子がわからん奴を足止めしてほしい」
「……私のような子どもを、産み出さないように、か」
「さっきお前が言ったみたいな、
 人権侵害やら児童虐待やら、実態を調査して、
 みたいな奴がちょいちょい来るんだよ」
「一度白日の下に曝されればいいのに」
「まだ今は、あのふたりは、
 そういう目から隠してやりたいんだ」

 キリのほうは本島の学校に通い、多少は外部の目にさらされて勝手なことを言われるという経験もあるが、カナンは島から出ることなくここまで育っている。土足で踏み込まれるような、異なる価値観で一方的に量られる外部からの干渉を防ぎたい、とガラムは考えていた。

「……足止めと言っても、
 全てに手が回せる訳じゃないぞ」
「お前の顔が利く範囲でいいから」
「私の顔じゃない。伝手に頼るだけだ。
 ……そうだな、聖獣に決まったほうを
 一度私に会わせるのが条件、としようか」
「え、いいのか?
 それは逆に、先代の口伝ってことで
 頼めるなら頼みたいけど」
「勘違いするな。
 儀式の実態とその後……
 君と私が、どうなってしまったかを
 伝えた上で考えてもらいたいからだ」

 か、その言葉を口にする表情にわずかなり期待してしまう自分にガラムはうんざりする。

「わかった、頼む。
 ただなあ……片方は学校にも行ってなくて
 島からほとんど出たことがないんだよなあ……。
 お前、そういうの相手できそう?」
「会ってみなければ何とも言えない。
 どちらが聖獣に決まるにしても、
 私が島に渡る訳にはいかないだろう。
 保護者きみの同伴で来てもらうことになる」
「あー……、まあ、そうね。そうなるね。
 じゃあまあ、決まったら連絡するわ」

 伝えるべきことは伝えた、とガラムは立ち上がった。居座って迷惑に思われるのも本意ではない。背を向け、立ち去ろうとする袖が軽く引かれ振り返ると、苛立っているような顔で言葉を選ぶラダが立っていた。

「……? なんだよ。
 もう帰るし、仕事には影響ないだろ」
「いや、その……また迷うといけない。
 波止場まで送る」
「は? え、いや、いいよ。
 どうした? 今日はたまたまスリに遭ったから
 ちょっと道がわからなくなっただけだ」
「スリ!? 何故それを言わないんだ!」
「言う暇なかったんだよ!
 結局実害はなかったし、
 いちいちお前に泣きつくのも変だろうが」
「泣きつ……かれてもまあ面倒だが、
 周辺の治安の問題もある。報告はしろ」
「えらっそうに……じゃあな!
 電話にゃ出ろよ!」

 言い捨てて控室を飛び出し、フロアの掃除をしているスタッフに愛想笑いと会釈で外に出る。途端に熱気と湿気、騒音が身を包み、ガラムは現実に帰ってきたような気がした。
 ラダが、自分を気にかけるなんてことがそう何度もある訳がない。慣れて、また距離を詰められるんじゃないかなんて錯覚してしまったら。そしてそれをもう一度失ってしまうようなことがあったら。完全に壊れてしまうよりは、今ぐらいの関係を保てればそれでいい。

「もしカナンを会わせることになったら、
 ついでに勉強見てくれりゃいいのにな」

 あの日ラダが島から出ていかなければ、当然カナンの教師をガラムが無理やり務める必要などなかっただろう。やり過ごすことに慣れ切った喪失感を今日は少し強めに感じながら、ガラムは隠して繋いでおいた自分の船に足を向けた。