01.光差す島

 キリには懐かない鳥が当てつけがましい羽音を立てて飛び去った。浅瀬に腰まで浸かったカナンは、一瞬前まで肩で好きなように遊ばせていた鳥を気にも留めず、キリに笑顔を向ける。

「お帰り、キリ。
 これでしばらくは島にいるんだろう?」
「ああ。
 儀式の夜まで、カナンと一緒だ」

 キリの答えを聞くなり飛びついて、水の中に引き込みずぶ濡れの道連れにするカナンと遠からず身体の交わりを持つ。幼い頃から言い聞かされてきた儀式をキリはずっと想像し、待ち望んできた。身体を繋ぐことでより深くカナンと交わり結ばれることができるなら、怖いことは何もない。

 島の外の人間、多くの場合外国の事情にも通じた大人が儀式の内容を聞き知ると、必ずと言っていいほど制止の言葉を投げかけてくる。未成年に対しての性行為の強要、性的搾取、後進国の悪しき慣習、他にはどう言われたのだったか。
 言わんとするところが理解できない訳ではない。一般的な人権意識を基準にこの儀式を見れば、良識ある大人としては黙っていられないのだろう。キリ自身も物心つく前から常に傍にいて共に育ってきたカナンとでなければ、そうした大人の声を助けに島の因習をぶち壊す側に回ったかもしれない。

 善と悪、正と負、陰と陽。対極に位置するふたつの存在を『聖獣』と『魔女』という役割に象徴させ、二者の間で調和、バランスをとることで世の平穏を保つ。基になる思想の部分に非難を浴びる要素はないだろうが、思想を表現する儀式の内容がまずい。
 島で共に育った同年齢の男子二人を聖獣と魔女にあて、二人ともが15歳を迎えた後の最初の満月の夜に一昼夜かけて気を交わらせ中和する――実際に行うことは聖獣役が魔女役に挿入、射精する肛門性交だ。国際基準に沿って近代化を推し進めている今の風潮に照らせば、20年ほど前に執り行われた前回の儀式より更に否定的な見方をされるのは当然だろう。

「キリ? 何か、気がかりがあるのか」
「……いや。
 カナン、お前、ずいぶん冷えてる。
 俺を待つにしても水の中ここでなくても」
「ふふ、キリから熱を奪うからいいんだ。
 ガラムにいがうるさかったから」

 首に腕を回し身体を預けてくるカナンは背の中ほどまで伸びている黒髪を濡らしてしまっている。顔に、首にまとわりついているそれを、かき上げまとめて片寄せてからキリはカナンを抱きしめた。ひんやりと吸い付くようなカナンの肌にキリの熱を移すなら、水から出たほうが効率がいいはずだ、とカナンを首にぶらさげたままキリは岸に向かう。

「うるさいって……ガラム兄に悪いだろ。
 儀式の準備に入る前に、ってのがあるんじゃないか」
「おれにそんなに急いで
 やらなきゃいけないことがあるか?
 どうせ数学だの英語だの、つまらないことだよ」

 つまらない、急ぎじゃないからおまえだって学校休みになったんだろ、と顔を首元に埋めたまましゃべるカナンの吐息がくすぐったくて仕方ない。水からあがっていくにつれのしかかってくる現実の体重に根を上げて、二人もろともに砂地の水際に倒れ込んだ。もう少しだけ這い上がって日に当たっていればすぐ体温も戻ってくるだろう。

「だらしないなぁ、キリ。
 そんなんで儀式は大丈夫か?」

 くすくすと笑いながらカナンが乗り上げてくる。儀式、と口にされると、常日頃何の気なしにしている触れ合い、距離を急に意識してしまう。裸の胸が密着していることで鼓動が伝わりはしないか気が気ではない。

「大丈夫か……なんて、わかんないだろ、今はまだ」
「まあ、やってみなきゃわかんないよな。
 無理、ってなってもおれとおまえで
 やるしかないんだし」

 収まりのいい場所を探して身じろぎしながらしゃべるカナンを、一度意識してしまうとどうしようもない。顔を見られないように、と、不用意な箇所への接触を避けるため、両方の意図でキリはカナンに抱きついて、自らの身体の上に固定した。もう昼に近い強い日差しを受けて、冷えていたカナンもキリの体温に馴染むぐらいには温まっている。くっついていなければいけない理由はもうないのだが、離れがたいような気がしたのだ。安心したようにぺったりと脱力し、完全に体重を乗せてくるカナンも同じ気持ちだと思いたかった。

「カナン、俺の上で寝るなよ」
「寝れるかよ、こんな固いのの上で」

 言い返す声がすでにとろりとゆるんで、キリの危惧が現実になりそうな様子だ。砂まみれになった身体を乾かして、砂粒が自然に落ちるまでぐらいは許されるだろうか。キリは自らのまぶたも重くなってくるのを感じながら、カナンの背でゆるやかに拍子を取る。怒られたとしても共同責任、二人で謝れば済むことだ。

◇◇◇◇◇

「で? 二人して寝こけて日が暮れて、って?
 カナンだけならともかく、キリもいたのに
 何をやってるんだ」
「ガラム兄、おれだけならともかくって
 どういう意味だよ?」
「どうもこうもないだろ……
 ごめんなさい、ガラム兄」

 キリは不満げなカナンの頭を掴んで自分と同時に下げさせる。ここまで長時間寝てしまうつもりも、ガラムに探させるつもりもなかったのだが、結果としては二人して数時間の行方知れず。二人で謝れば……と考えていたのも相方たるカナンは全く協力の姿勢を見せず、キリはひとりいたたまれない。

「言うまでもないと思いたかったけどなぁ、
 儀式の意味、わかってるか?
 成人の儀でもあるんだからな?」
「だってガラム兄、未だに大人げないじゃん。
 20年も前に儀式やったはずなのにさ」
「ちょ、カナン!
 お前はもう黙ってろ!」

 謝罪どころか暴言を吐くカナンにキリはひやひやする。各々の事情で親と共に生活するということがない二人にとって、ガラムはその代りになってくれているような存在だ。大人げなさを見せるとしてもそれは、カナンの傍若無人な振る舞いに腹を立てた時だけに決まっている。
 加えて、ガラムに対してかつての儀式に言及する言葉を投げかけるような真似はとてもじゃないができない。魔女を務めたガラムはそのまま島に残り時折中央島の街に出て仕事をする生活だが、ラダという名の先代の聖獣は儀式の後島を出ていき、街で暮らしていると聞いている。我が身に引き寄せて想像すると、より深い絆で結ばれるはずだった儀式の後の別離はどれほど辛いか、悲しいか。キリとカナンには影を見せることのないガラムが抱えてきたものを思えば、うかつに触れるのはためらわれる部分だった。

「ああ、大人げないさ。
 カナン、大人げない俺は儀式の前だろうと
 お前に最低今日分の勉強はやらせるからな!」
「はぁ!? やだよ!
 キリと一緒に八重のジュプンをいっぱい採れって
 ガラム兄が言ったんじゃないか!」
「キリは学校で居残り勉強も宿題もやるんだよ!
 お前は俺がやらせなきゃ達成度0だろ……」

 とうとう頭を抱えだしたガラムになんと声をかけたらいいのか、キリは途方に暮れてしまう。キリがカナンの勉強を見られればいいのだろうが、残念ながら他人に教えられるほどの成績ではない。儀式の準備という名目の自主休校を、内心喜んでいることをカナンに気取らせないよう顔を引き締めるくらいしかできることはないようだ。

「……ジュプンは、俺が先に採りに行くさ」
「ばか、キリ、おまえだけじゃ最初は無理だよ。
 ジュプンの樹が毒で危ない、とかわかってるか?
 
「あー……そりゃまあ、そこはカナンの言う通り、
 聖獣と魔女、ふたりで、が大事な訳で……
 キリ、悪いけど一緒に勉強やってくれるか」

 カナンの言う「おれと一緒じゃないと」は、ガラムの言う「ふたりで、が大事」と同じ意味ではなさそうだ。島の生き物、動物、植物、もしかしたら水や空気に至るまで、カナンにならば、という気配が確かにある、とキリは感じている。ジュプン、島の外ではプルメリアなどとも呼ばれる花の八重咲きの樹を、キリひとりでは見つけることが難しいだろう、とカナンは案じているのだ。

「わかったよ、ガラム兄。俺も宿題先にやる。
 カナンと一緒にジュプン採りに行きたいから」
「だってよ、カナン。キリのために頑張れよ!」
「~~き……ったねぇぞガラム兄!!
 おれがキリの言うことなら聞くと思って!」

 わめき出したカナンの腕に自らの腕を絡め、キリはじっと目を合わせる。実際行動が伴うかはその時々だが、カナンは口下手の自覚があるキリが伝えたいことを、大抵察してはくれる。お前と一緒じゃないとだめだ、嫌だ、と、伝わってほしい気持ちを込めて覗き込む。

「キリも、ずるいだろ。
 そういう顔したらおれが思い通りに動くって……」
「違う、動かすとか、そんなんじゃない」
「……ごめん。だよな。
 おれが、そうしたくなるってだけ。
 ガラム兄! 明日1日で終わらせる」
「カナン、お前な……。
 1日で終わらせる、って量じゃないんだぞほんとは!
 儀式が済んだら再開するからな」
「その時は、俺も手伝うから」

 なんとなく、儀式の後に何か約束を取り付けておきたい気がしてキリは口をはさんだ。ふたりの間柄は変わらない、今まで通りの日々が続いていく、と、形にしておきたいのかもしれない。

「おー、頼もしいじゃないの。
 逃げられないぜカナン君よ」
「明日できるだけ減らしとけばいいんだろ。
 見てろよ!」
「はいはい。
 じゃあ、今日は寝るとこ作ったりあるだろうから
 俺は帰るけど……大丈夫か?」

 大丈夫か、でキリを見るあたり、ガラムの中のふたりの認識が透けて見える。

「うん、なにか上手くいかなかったら明日聞く」
「そうだな。どうせまだ選定も済んでないし、
 絶対間違えちゃいけないってほどのことはないさ」
「おれがついてるのに何が心配なんだよ」
「お前自身が……って言いたいとこだが
 まあ、確かにな。すまん」
「別に、謝ってもらう程のことじゃないけど。
 明日は、うちでいいの?」
「ああ、俺が森に立ち入るのはまずいし、
 いったん家まで戻っておいてくれ」

 ことが勉強がらみでなければてきぱきと頼りがいのあるカナンとガラムでさっさと明日の予定が固められ、ガラムは立ち去って行った。

「カナン、お前と一緒でよかった」
「ん、え? なんだよ、急に」
「いや、なんとなく、言っておきたくなったから」
「ばぁか、顔見りゃわかるよ、そんなこと」

 くるりと背を向けて面倒そうに言うカナンの耳がわずかに染まっている。キリはじわりと嬉しくなり、後ろから抱きついてみる。

「キリ、なんか、らしくないよ。
 いつもと逆、おれみたいじゃないか」
「……嫌、か?」
「違うけど、……嬉しいけど、落ち着かない」

 日が暮れる前に森の奥まで辿り着かなければいけない。わかっているのに、どうしてか腕を解いて歩きだす気になれない。落ち着かないのはキリも同じだ。浮わついている、とも言える。これ以上距離を縮めることが難しいように感じるカナンと儀式に向けてどう過ごせばいいのか、少し戸惑っているのだろう。

「キリ、ちょっと腕ゆるめて」
「? わかった」

 離せ、とは言われなかったことに安心して、キリはカナンの言葉に従う。ゆるめた腕の中でカナンは身体を反転させ、キリに向き直った。キリのそれよりいくらか色の濃いカナンの目が注視してくるものを、なす術もなく見返す。自然のままの前髪の間からきらきらと光を弾く二つの目がふと下りてくるまぶたで遮られ、一瞬のちに唇にやわらかい感触。さらりと乾いたカナンの唇がそっとキリの唇に押しあてられ、微かな音を立てて離れていった。

「カナン……」
「おまえと、もっと仲良くするなら
 こういうことかと思って」
「うん。……俺も」

 キリの言葉に応じて目を閉じるカナンに、お返しのように唇を触れさせる。唇と、まぶた、頬にも、かわるがわるお互い触れ合って見つめ合う。

「……行くか」
「ああ。カナン頼りだからな」
「任せとけよ。
 実は下見もばっちりなんだぜ」

 濃度が上がったような空気を吹き飛ばして、ふたり森の中の、儀式まで共に過ごし、当日の閨になる仮宮へと足を向ける。ガラムの経緯を思い起こすと不安がよぎることは否めないが、キリは自分とカナンなら儀式そんなことに揺らぎはしない、と信じたかった。

「今日から野菜と果物しか食っちゃいけないんだろ?
 せっかく森の中なのにさあ……」
「果物で! 森の中にしかないやつ食べればいいだろ」

 ついさっき恐る恐る触れ合わせた唇で、カナンは森の生き物を狩って食べられないことを嘆く。あまりにも変わらないその様子に内心安堵して、キリはカナンの背中に手を置き歩みを促した。