蓮喰い

農村の出で科挙に合格し、主簿の役を任ぜられて地方に赴任した黄柴雲(おうさいうん)。赴任先で厄介になる士大夫、盧舜琦(ろしゅんき)の屋敷には『若い男が居付かない』という噂が流れていた。仕事に倦み、買って出た屋敷の庭仕事に興じる中柴雲は、荒れた庭の奥に佇む離れに暮らす一人の画家と出会う――。

なんちゃってふんわり中国時代もの、残酷描写ありは作中登場の風習に対して念の為つけました。


 故郷に比べれば拓けている。黄柴雲おうさいうんは渡しの船から辺りを見回し心中呟く。都落ちだなんだと嘆いていた同輩たちは王都の生まれ、気を抜くと牛の糞に足をとられる道など知らないだろう。音を上げて逃げ帰るようなことがなければいいが、と心配半ば、揶揄半ばの思いを馳せる。

 村では一番の神童と目され、村中こぞっての後押しでなんとか科挙に合格したまではよかった。しかしその先はやはり貴族の出ではない柴雲には険しい道のり、主簿の役を任ぜられ、配属が決まっただけ幸運だと言うべきだろう。

「旦那、盧舜琦ろしゅんき様の屋敷に
 住まわれるんで?」
「ああ、有難い事にな」

 船頭が艪を操りながら尋ね、柴雲は答える。

「盧様は子を設けられませんでね。
 旦那を養い子のように育てたいと
 お考えなんでしょう」
「養い子と言うにはずいぶん育ってしまっているが」
「ははは、物の例えですよ」

 軽口を叩きながら船頭は船を岸に着けた。

「世話になった」
「なんの。船の用事があればいつでも
 声をかけてくださいよ」

 愛想よく応対する船頭が、ふと手を止め柴雲をじっと見る。好奇心と心配、わずかに恐れが混じったようなその目に柴雲は、首を傾げてみせることで言葉を促した。

「……いやね。盧様はたいそう慈悲深く公平な方。
 この辺りの人間で悪く言う者はいませんや。
 だがねぇ……お屋敷には、色々と噂もあって」
「噂?」
「お気を付けなさい、旦那。
 盧様のお屋敷にはどうも若い男が居付かない。
 使用人も、芸事の先生も、何日も経たないうちに
 またすぐ儂の船に乗って離れていったんです」

 何かある、知られちゃいけない秘密があるんじゃないかって、まあ面白半分囁かれてましてね。

 他人事のように言うがこの船頭も囁いている一人だろうに。柴雲は呆れた目を隠さず向ける。とたんに気まずそうに艪を握り直す船頭へ向け柴雲は声をかけた。

「お屋敷の秘密……明らかにできたら、
 お前には伝えよう」
「え……いいんですかい?」
「世話になる盧様を流言飛語で悩ませるのも業腹だ。
 お前の口から皆に事の真相を伝えてくれ」

 頼んだぞ、と肩を叩くと心底嫌そうな顔で船頭は「旦那くらい食えねぇお方なら大丈夫そうだ」と吐き捨てた。

◇◇◇◇◇

「お待ちしておりました」
「今日から世話になります、黄柴雲と申す者」
「承っております。さあ、どうぞ中へ」

 門で呼ばわると駆け出てきたのは初老の婢。士大夫として界隈に権勢を誇る盧氏の屋敷で、男性の門番ひとり置いていないこの様子は確かに奇妙ではある。

「旦那様も首を長くしてお待ちでしたよ」
「それは、申し訳ない。
 もう少し早く到着できればよかっただろうか」
「あら、いやだ。
 それぐらい柴雲様のお着きが楽しみだった、って
 そういう意味ですよ」

 笑い交じりに発言の意図を説明され、柴雲は不調法な己を恥じる。故郷に残してきた母よりも年上だろう婢とのやりとりで、気の利いたことが言える性質ではない柴雲はあいづちともため息ともつかない音を発してやりすごした。

「旦那様!
 黄柴雲様をお連れしました」
「おお、思いのほか早いお着きだ。
 どうぞお入りなさい」

 書斎にあたるのだろうか、とりどりの木が植えられている庭を抜け辿り着いた部屋から、この屋敷に着いて初めての男性の声がする。

「この度は、私めをここへ置いてくださるとのお話、
 大変にかたじけなく……」
「ははは、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。
 お待ちしていました、柴雲殿」

 礼を執る柴雲の肩を軽く叩き、屋敷の主、盧舜琦は笑った。柴雲の赴任に伴い自らの屋敷に招き入れる申し出をしてくれた舜琦と、直に対面するのはこれが初めてである。交わしていた書簡の、どこか尖った印象を受ける手跡とは裏腹のどっしりとした体躯。野育ちの柴雲と比べても遜色ない上背、軽く日に焼けている肌色も官吏と言うには武張った佇まいだ。

「お聞き及びかもしれないが、私には子どもがいなくてね。
 失礼ながら生家の筋が良くない優秀な選人を迎え入れ、
 家を保ちたいと考えている」
「私を養い子に、とお考えですか」
「いや。
 君が王都に呼び戻されることもないとは言えない。
 盧の家を継いでほしい、というよりは、
 士大夫としてこの地の統治を継いでほしいんだ」

 穏やかな笑みを浮かべ舜琦は語る。家柄に恵まれた同輩たちとは異なり、柴雲の赴任は十中八九一方通行のもの。呼び戻されるとは思えないが、万が一の際家名が変わっているのはよろしくない、との配慮なのか。

「お気遣い、痛み入ります。
 ご期待を裏切ることの無いよう、相努めます」
「堅苦しいのは抜きだと言ったろう。
 養い子としなくても、父親のように考えてもらって
 構わないんだ」

 肩から背中、大きな手のひらで軽く撫でる舜琦の手つきに、柴雲はふと引っかかりを覚えた。

 意図が――?

 子どもがいない、若い男が居付かない。舜琦の指向がその事態を生んでいるとしたら。そこまでで、柴雲は埒もないことだ、と考えるのをやめた。
 舜琦の申し出、赴任先のここでの権勢を継いでほしいという意向は願ってもない僥倖には変わりない。付随して身体を求められるなら、受けるだけの恩に僅かばかりでも報いることができようというもの。実際ものの役に立つのかわからない科挙の結果で判断され、過大な利益を得るよりは気が楽だ。

「心強いお言葉を頂き感謝致します」
「うーん、柴雲殿は真面目なのだろうな。
 早くこの家でくつろげるようになってもらいたいが」

 苦笑する舜琦からは、手のひらから感じた隠微な気配は全く覗えない。下衆の勘繰りだったか、と柴雲は些か体裁悪くぐるりと顔を撫で「くつろぐなどと。置いて頂く身、何くれとなくお申し付けください」と軽く頭を下げた。

◇◇◇◇◇

 申し付けられることはなくとも、やはり男手のない屋敷の中にはちらほらと行き届かないところも目に付くもの。庭木の手入れや草取り、果樹からは収穫、と、柴雲は出自を活かした働きをするようになった。当初は恐縮しきりで柴雲を止めようとしていた婢達も、舜琦の鶴の一声「ご当人が楽しいというならお任せしようじゃないか」で今やすっかり頼り切りである。

(畑……を作るのは流石に許されないだろうが)

 日中不在の中、手入れができない畑を作ってしまっても作物を駄目にしてしまうだけだろう。何より造園を手掛けた者にしてみれば、畑などとんだ冒涜に違いない。
 心底の本音としては、官吏の仕事に倦んでいる自覚がある。結局のところ柴雲はどうあれ農村の出、土や水、日の光と共に食って生きていけるだけの生業を営む暮らしが性に合っていた。そのことに気付けずのぼせあがって、学で身を立てようなどという浅慮が今、自らの首を絞めている。

(舜琦殿の書斎の裏、別棟の辺りは
 まだ手を入れられていないな……)

 禁じられている訳ではないが、何となし敬遠していた辺りに足を踏み入れてみようか。沈んだ心を無理やり浮き立たせるべく柴雲は手にした鉈を握り直した。余分な木々の枝を落として雑草をむしり、景観を整える。成したことを目に見える形で実感したい欲求が湧いている。

(これは、ひどいな。今日の話にはならない)

 間近で子細に見ると、登庁前の限られた時間では如何ともし難い有様。いつのことか、嵐で折れたのだろう木が横たわり苔をまとって地面を占めている。どこからか浸食してきた竹も無造作に伸びて、屋敷の庭とその外との境界を曖昧なものにしていた。
 今日のところはこの竹を幾ばくかでも間引いて、庭の輪郭を際立たせる筋道を引く、ぐらいか。倒木をまたぎ越し、目当ての竹に鉈を振り上げた柴雲の耳に、聞き覚えのない声が鋭く刺さった。

「駄目……っ!」

 澄んだ、舜琦のそれよりは幾分高めの、だが男性の声。屋敷に他に男が居たことに柴雲は驚き、辺りを見回す。

「失礼。どちらにいらっしゃるだろうか?
 断りなく竹を切ろうとし、申し訳ない」

 努めて声を張り、制止の主を探す。種類も分からないほど乱雑に生い茂った草木の奥に離れらしき建物が見える、そこから声をかけたのだろうか。柴雲は行く手を阻む植物を踏みしめ鉈で薙ぎ歩を進める。

「ごめんなさい、不躾にお声がけしてしまって。
 写生をしている風景が変わってしまう、と
 焦ったものですから……」

 藪と化している地帯を抜け建物の傍まで辿り着くと、そこには庭に向かって戸が大きく開かれた一室と、部屋の主であろう若い男が佇んでいた。

◇◇◇◇◇

「ほう、択端たくたんと話をされたか」

 朝の出来事を報告しておこう、と書斎を訪ねた柴雲は、思いのほか面白がっているような舜琦に面食らう。最悪の事態として、不興を買い放逐されるのもやむなし、ぐらいには腹を括っていたからだ。

「話と言うほどのものでは。
 私の考え無しの行いを、制止なさったまで」
「いや、あれは気が向かなければ姿も見せない。
 柴雲殿のことは話してはいたんだが……
 紹介する前に顔を合わせることになって済まなかった」

 あれ、という呼び方ににじむ狎れた気配に柴雲は冷や汗をかく。やはり踏み入れるべきではない領域を侵したのではないだろうか。
 択端――名前は今初めて聞いた――は、あの離れで起居する画家だと自らを説明した。庭に手を入れるならひと言断りを入れてからにしてほしい、と乞われ、謝罪と、明日朝また改めて、と約束を取り付けたまでが今朝の話。舜琦の知らぬところで、はまずいのではと今に至る。

「そうだ、今ならまだあれも起きているだろう。
 改めて紹介させてくれないか、柴雲殿」
「……離れのほうに立ち入るなと、
 お申し付けにならないのですか」
「何故?
 柴雲殿があの荒れ様に怖れをなしたなら仕方ないが」

 舜琦は他意なく首を傾げているように見えるが、真意は如何ばかりか。

「庭のほうは、腕の振るい甲斐がある、と
 楽しみにしています。ですが……」

 この盧邸に若い男が居付かないのは択端のせい、囲った寵童に色目を使う者を排除した結果では、との推測をそのまま口に出す訳にもいかない。

「はは、択端の気まぐれを気にされているか。
 構うことはない、写生などと言っても数日のこと。
 何なら今から急かしておこうじゃないか」

 言うなり舜琦は身軽く立ち上がり、柴雲の背に手を当てて移動を促した。この不意の接触も、択端の存在を踏まえると少なくとも自分に何か向けられたものではなさそうだ。とんでもない邪推で舜琦を量っていたかもしれない、柴雲は無理に作った仏頂面の影で恐縮した。

「おお、ずいぶんと庭が拓けたものだ。
 お言葉に甘えて任せきり、申し訳なかったな」
「楽しんでやらせて頂いております」
「そう言って頂けると気が楽だが。
 そうそう、邸内から択端の部屋へ向かう時は
 この道順を辿るといい」

 さあ着いた、と中に声をかけることもせず、舜琦は扉を引き開けた。

「舜琦様? 何か……、貴方は、今朝の」
「こら、択端。柴雲殿から聞いたぞ。
 竹を切るなとわがままを言ったそうじゃないか」
「柴雲……様。貴方が、そうでしたか」

 部屋の主、択端は、からかい半分の舜琦はそこそこに、腰掛けたまま手にした筆を放して柴雲を見上げた。

「柴雲殿。択端は夜分脚が利かなくてな。
 無礼を許してやってくれ。
 これでもお使いになるか?」

 舜琦が手早く周囲に置きざりの腰掛を柴雲のほうに押しやってくれる。頭を下げ、有難く腰を落ち着けて、柴雲はようやくまともに択端に相対した。

「今朝は、お騒がせした。
 先日来こちらに置いて頂いている、黄柴雲と申す」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れました。
 僕もこのお屋敷に置いて頂いている者。
 択端と申します」

 名乗り、笑いかけるその顔は、灯火に照らされてほの白く柔和な、嫋やかとすら言いたい風情ではあったが面影に舜琦と通じる部分が散見される。名のみを名乗るところからも、おそらくは択端は舜琦の血縁者、妾腹の弟といった存在なのだろう。何が寵童、囲い者か。柴雲は己の勘繰りを恥じた。

「択端。写生はなるべく早く済ませてしまいなさい。
 せっかく柴雲殿が寸暇を惜しんで
 庭を整えて下さるんだ。お前の都合は……」
「いえ、そんな」
「もう済ませました」

 舜琦の言葉に同時に答えてしまい、柴雲と択端は顔を見合わせる。手振りで譲り合い、促す様子に舜琦は隠さず失笑した。

「なんだ、もうずいぶん気が合う様子じゃないか。
 柴雲殿、年齢も近いことだし構ってやってください」
「はあ……択端殿の、ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんてそんな!
 あの、写生は昼の内に済ませましたので。
 明日からは存分に柴雲様の腕を振るってください」

 縋るように、乞うように。おずおずと柴雲の袖に手をかけて言う択端の言葉を真に受けていいのだろうか。柴雲は困惑し、舜琦を窺い見た。

「もっと早く柴雲殿を連れてくれば良かったな。
 択端がこのようにすぐ心を開くなど稀有なこと。
 柴雲殿、これをよろしく頼みます」

 手を握られ、真摯に頼み込まれては柴雲に頷く以外の術はない。同年配の友人を得られるならそれは柴雲にとっても喜ばしいことだ。出来る限り親しみやすく見えるような笑顔を作り、柴雲は択端と舜琦を交互に見て「見違えるような庭を楽しみにしていて下さい」と請け負った。

◇◇◇◇◇

 まだ夜も明けきらぬ中、択端の許へ向かう。庭を整えた結果開けた眺望は盧邸の周りの環境を詳らかにした。択端の部屋の傍近く、真裏とでも言うような場所に小さな池があり、蓮が自生していることが明らかになったのだ。択端が「決まった時期に、夜明け頃聞こえる音が蓮だったのかもしれませんね」と宣ったことから、今朝は柴雲と択端ふたり、観蓮会と相成った。

「択端」

 必要もないのだが、何となし声をひそめて呼びかける。戸を開けていいか、との許しを請うたつもりだ。

「柴雲様。どうぞ、お入りください」

 常と変わらぬ涼やかな声で招き入れられる。

「おはよう、択端。きちんと寝たか?
 夜を徹して描いていたなどとは言うまいな」
「今日の、蓮を描きに行くことに
 的を絞っていましたから。
 昨日は明かりを灯すことなく床に就いたんですよ」

 笑いながら答える択端の腰には携帯用の墨壺、絵筆、水差しが装備され、なるほど準備は万端だ。柴雲も笑んで腕を伸ばす。

「では早速向かおうか。
 池に着くまでは私の腕につかまって歩くといい」
「はい……ご面倒を、おかけします」
「何の。おかげでゆっくり見て回れるさ」

 夜には立ち歩けないほどの脚を持つ択端は、昼間も万全の歩行が出来るとは言い難い。気の毒だが童のよちよち歩きと例えざるを得ない歩みも、柴雲が支えていれば幾分安定し長く歩くことが出来る。写生の幅が広がったと喜び、遠慮がちに頼ってくる択端を、柴雲は日に日に愛い者と感じていた。

「故郷では、蓮はもっぱら根を掘るものだったからな。
 開花を待って眺める、などという風流とは無縁だった」
「根……ですか? 掘って、どうするのです?」
「食べる。択端も口にはしているかと思うが……。
 掘ったばかりの姿は知らないか」

 埒もない言葉を交わしながら、池のほとりまでの短い道程を時間をかけて歩く。話しながらも択端は気もそぞろ、意識は蓮に囚われて上の空だ。

「あ、あの岩! あの場所から描いてみたい」
「よし、じゃあもう少しがんばって」

 弾む声で目的地を指し示す択端に、柴雲は声をかけ支え直し、目当ての岩に座らせた。いそいそと懐から紙を取り出し手早く支度を整える択端には、しばらく何を言ってもまともに響くことはないだろう。柴雲は苦笑し、写生の邪魔にならない位置取りを探し始めた。
 葉の裏が見えるほど伸びている蓮は、柴雲の目には美しいと言うよりたくましく映る。秋に根を掘りに来たら、さぞ立派なものが収穫できるだろう。期待を込めて眺める目の前で、みるみるうちに一輪薄紅の花が開いた。

「択端! 今のを見たか!?
 音は聞き取れなかったが、見る間に花が開いて!」
「ええっ、柴雲様ばかりずるいです!
 写生に気を取られて、見逃してしまいました……」

 口惜しそうに、柴雲と蓮を交互に見ながら択端は恨み言を口にする。次は見落とすまいと思うあまりか、蓮から目を離すことなく立ち上がろうとしている択端に柴雲は慌てて駆け寄った。

「あ……っ!」
「危ない!」

 覚束ない足元に注意を払わず急に動いた結果、択端は体勢を崩して転倒しかけた。このままでは座っていた岩に身体を打ちつけ怪我をしてしまう。柴雲は焦り、強引に択端を引き寄せた。あおりを食ってふたり地面に転がってしまったが、土の上、択端は柴雲の上に着地している。あのまま岩にぶつかっていたよりは、と柴雲は安堵した。

「択端、無事か。
 どこも痛めてはいないか」
「柴雲様……っ!
 僕より、柴雲様が……」

 目に涙を浮かべんばかりの勢いで柴雲の身を案じてくれるのは有難いが、にじり寄る択端の尻が敷いているのは柴雲の身体。あまり身動ぎされると妙な気分になってしまう。

「立ち上がれるか?
 私が手を貸すから……、っ!」

 択端を抱え上げ、自分ともろともに立ち上がればいいだろうか。そう考えた柴雲の目に、唐突に不調和な極彩色の、一対の小さな塊が飛び込んできた。

 択端の、足……?

 大きさは三寸、四寸ほどだろうか。足首からあまり直角に伸びることなくちんまりとした形を、跳ね上がった爪先から弓なりの弧を描き、踵を持ち上げる木の底が支えている造り。足を包む部分には色とりどりの刺繍が施され、描く絵にも身に付けるものにも色彩の印象がない択端の、普段さらされることのない白い脛との対比がひどく鮮烈だ。柴雲は我知らず唾を飲み、惹き付けられた目を離すことが出来ない。

「嫌……っ!」

 胸に衝撃を受け、柴雲は我に返った。択端は柴雲を突きのけ、着衣をかき寄せて足を隠し、震えている。

「す、済まない、択端。
 立てるか? 私が先に立って、抱え上げようか」
「やめてください!
 僕の足、お目に入ってしまったでしょう……?
 こんな、淫らな……こんなものに、お手を煩わせて」

 淫ら? 択端の口から飛び出すには違和感、想像もしなかった言葉だ。無粋不調法が生来の性分、柴雲にはあれが淫らなものかどうかを判ずる知識がそもそも無い。

「択端。許してほしい。
 不躾に眺めてしまって気を悪くしただろう。
 私は、その、見たこともない綺麗なものだったから……」
「! 綺麗なものか!!」

 択端が叫ぶ。怒りか、嘆きか。顔面に朱を刷き、ぎらぎらと目を光らせて柴雲を睨むその顔は、柴雲の腹の底に不可解な熱を灯す。

「貴方には、貴方にだけは見られたくなかった!
 こんな足、慰み者がいっぱし画家気取りで……
 さぞ軽蔑なさるだろう!」
「択端!」

 抱き寄せて、自らを傷つける言葉を吐く口を胸に押し付けて、柴雲は択端への気持ちに何ら変わりがないことを伝えたかった。隠したいならもう二度と見ない。不自由な脚の原因を垣間見たことも忘れるから、これまで通り歩みの助けに頼ってほしい。上手く言葉にできない思いを込めて華奢な身体を抱きしめる。腕の中で択端は一度大きく身を震わせ、それから声を上げて泣いた。柴雲は何も言えず、ただその薄い背中を撫でていた。

◇◇◇◇◇

(どうしたら、よかったのだろうか)

 泣き疲れ、力が抜けてしまった択端を抱き上げて部屋まで運び、寝かしつけてから仕事へ赴いた柴雲は、一日身が入らない様子で仕事をこなした。上役にどやされたのもまるで堪えていない。頭の中は朝の択端で占められたままだった。
 決して進んで暴こうとした訳ではない。それは誓って言えるのだが、まじまじと眺め回したことはやはり柴雲にも非があるだろう。誠心誠意謝れば許してもらえるだろうか。蒸し返さず何事も起きなかったかのように振る舞うほうがいいのか。柴雲は途方に暮れていた。

「柴雲殿、少し、よろしいか」

 部屋の外からかけられた声に柴雲は机にもたれていた身を跳ね上げた。屋敷の主である舜琦に足を運ばせてしまうとは。慌てて戸を開け「勿論です、お入りになられますか」と招じ入れる。

「朝は択端が面倒をかけたようだ。
 話を聞いて、柴雲殿なら気に病んでしまわれるか
 と心配になってね」

 親身な口調と控えめな笑み。だが舜琦が択端のあの足を、知らない筈がない。慰み者、と自らを蔑んだ択端は、誰にそうされているのか。当てはまる人間は目の前のこの男唯一人だ。

「択端は、いつから……
 脚は、生まれつきの不具合ではなかったのですか」
「……ああ、柴雲殿は南の方の生まれだったか。
 王都でもさほど色の道には励まれなかったと見える」

 纏足を、ご存じなかったとは。

 にたり、と。舜琦は目を細め唇の両端を引き上げて柴雲を見やった。巧妙に隠していた闇を、面の皮一枚剥いで見せつけるようなその笑みに柴雲は恐怖を感じる。

「択端の足を見て、如何思われた?
 目が離せなくなって、綺麗だと言った……
 択端は気遣い、哀れみだと言っていたが
 ――真実、情動を覚えたのではないか?」

 首元に刃を突き付けられた如く、動悸が激しくなる。舜琦は何故、あの時の柴雲の心の動きをこうまで把握している? 息苦しさから柴雲は取り繕うことも出来ず、子どものように頷いてしまう。

「あれは私の作品、一世一代の大傑作さ。
 柴雲殿ならきっと、惹かれて、愛でてくれる、とね。
 私も、恐らく択端も待ち焦がれていたよ」
「舜琦殿、何を……」

 纏足? 私の作品?

 言葉だけは耳にしたことがある。女児の足をまだ骨が柔らかいうちに縛り、小さなままに保つように施術する。馴染みのない奇習、と記憶に留めてもいなかったそれを、舜琦は択端に?

「どう、して。何のために……」
「あれを他人目にさらせない。
 私の手元に置いて、目の届くところで生かして。
 柴雲殿には、択端も含め跡を継いでほしいのだよ」

 柴雲殿さえよければ、今夜択端をお譲りしよう。

 耳に口を寄せ囁きを吹き込む舜琦に、寒気すら覚えるのに抗えない。柴雲は助けを、理解できる答えを求めて舜琦を見つめる。択端を譲る? この男は自分に、何をせよと言っているんだ?

「さあ、柴雲殿。
 択端には支度をさせて待たせている。
 この手を取りさえすれば、あれは君の物だ」

 優し気な笑みを浮かべ手を伸ばす舜琦は、柴雲がこの屋敷に着いた日の様子と何一つ変わらない姿。柴雲は受け止めきれない舜琦の言葉を全て頭からふるい落とし、舜琦の手を取った。択端が待っていると言うのなら、早く傍に行き顔を見たい。ただその一心を総身に漲らせ立ち上がる。択端の、声を聞きたかった。

◇◇◇◇◇

 舜琦に誘われ足を踏み入れた択端の部屋は灯火もなく静まりかえっている。投げ出された絵筆、描きかけの蓮、絵皿にとった墨も乾いており、不在の長さを感じさせた。

「舜琦殿、択端は……」
「ああ柴雲殿。急かれるな。
 そうまであれを求められるとは喜ばしいが」

 舜琦は振り返って、細めた目で柴雲を撫でまわすように見つめる。しゃべりながら手は壁に作りつけられた棚のそこここにひらめいて、不可解な動きを見せている。

「私が死ぬ前には、この開け方もお伝えしよう。
 だが当面は除け者にしないでもらいたいのでね。
 扉を開くのは、私の役目のままで」

 言うなり、ごとり、と何かが落ちるような音と共に壁が動いた。漏れ出る薄明かりに、柴雲は壁の裏の隠し部屋を悟る。背中に手を這わせて促す舜琦の為すがまま、柴雲は蛾のようにふらふらと明かりが灯った部屋の中へと歩を進めた。

「択端!」

 控えめな灯火に浮かび上がるのは、薄手の夜着一枚まとったのみの択端の肢体。小さな足を包んでいる包帯をいくぶん解いて壁に括りつけられ、大きく開脚させられている。あらわになった白い脛、太股――目で辿ったその先には、黒々と太い張形を濡れそぼって咥え込む裏門が息づいていた。

「嫌ぁーーーっ!!
 見ないで、どうして、柴雲様……っ!」

 身をよじり秘所を隠そうとするも、手も縛られているらしい択端の動きはより肌をさらけ出すばかりだ。柴雲は混乱を極め、どうしていいかも分からないまま択端の手を解放しようと躍起になった。

「柴雲殿、択端の支度はお気に召したかな?」
「何を……何ということを!
 択端、しっかりしろ! 今足も解いてやるからな!」

 笑み含みの舜琦の声に柴雲は激高し、解き終えた手を離し足へと移ろうとする。だがそれは、択端自身の解放された手によって強い抵抗を受けた。必死に柴雲の袖を、腕を掴んで阻む択端に怯み、柴雲は動きを止めざるを得ない。

「駄目、足は解かないで……
 お願い、もうこれ以上……僕を見ないで!」

 すすり泣く択端を胸に抱き、柴雲は混乱の渦を些かも鎮めることが出来ず呆然とする。顔の横で揺れる、自分のそれと同じものとも思えない小さく華奢な作り物めいた足。択端は何よりこれを恥じ隠したがっている、胸を湿らせる涙から痛いほど伝わるだけに、もう身動きがとれなかった。

「択端、そのように柴雲殿を困らせるものではない。
 これからは柴雲殿が唯一人、
 お前の足を愛でてくれる御方になるのだからな」

 お前とて、もう柴雲殿以外の男に、など考えられなくなっているだろう?

 舜琦の粘つくような声が択端をたしなめる。柴雲は挙げられた自分の名に驚き、振り返って舜琦を注視する。

「何故……舜琦殿、私は……
 斯様に嫌がる択端に無理強いなどしたくない!」
「ああ、素晴らしいな柴雲殿!
 択端よ、聞いたか? 柴雲殿を於いて他に
 お前の身を任せられる男が居ようか!」

 隠しきれない喜びを溢れさせたように声を張った舜琦は、柴雲の腕の中の択端に語りかけた。促されるように択端はそっと柴雲の胸に手をついて顔を上げ、涙に濡れた目で柴雲を見つめ口を開く。

「柴雲様、何故ここへ来たのですか。
 舜琦様に僕の身を譲る、と言われて……
 何を思って足を運んだのですか」
「済まない、分からない……
 ただ、択端。お前に会いたくて」

 口が勝手に動いて紡ぎ出したかのような柴雲の答えに、択端は顔を歪め、涙を一粒こぼした。

「足を、解いてください。
 そこで目にするものに耐えられるなら……
 僕の全てを柴雲様、貴方の好きに扱って」

 言うなり択端は両手で柴雲の顔を挟み引き寄せて、唇を合わせた。頬骨からえら、首筋、耳……指を這わせながら口中で舌を絡め、吸う技巧に柴雲は翻弄され、鼻息を荒げてしまう。このまま口吸いに夢中になってしまう訳には、と柴雲は択端をそっと押しとどめ、足側の包帯の端に手をかけた。くるくると、ひと巻きひと巻き包帯が剥がれていく様を、択端は見るに耐えないとばかり顔を背け目を逸らしている。白い布を透かして次第にあらわになる択端の素足に、柴雲は目を奪われた。

「柴雲殿、どうかな?
 択端は嫌がるが、私はこの足を舐めてしゃぶって
 可愛がってきたものだ」

 舜琦が背中に貼り付いて、柴雲の耳にいやらしい囁きを吹き込む。まずとりかかった右足は包帯が完全に取り去られ、柴雲の手の中に落ちてきた。つんと尖った親指を残して折り曲げられた4本の指は甲側からは見えず、汗ばんだせいか艶の出た皮膚と相まって、その姿は蒸し上がって開いたばかりの粽を思わせる。歪められたその様に痛々しさを覚えながらもどこか欲に火を灯されて、柴雲は舜琦の声を反芻しおずおすと爪先に舌を這わせた。

「嫌……だめ、
 舜琦様の言うことを聞かないで…っ」

 涙声の択端はしかし、爪先から指の間、裏まで辿って深々と形成された溝を舌でなぞる度、嘆き故とはもう言えないあえかな吐息を隠しきれなくなっている。柴雲は大きく口を開け、爪先から足首にかけてを口に含んだ。途端に背を反らせ、高く声を上げる択端に疑いようもなく情欲が溢れる。香を焚きしめているのだろうか、馥郁とした香りの中に微かに混じる択端の生身の匂いが柴雲を突き動かす。気付けば手のひらじゅうに唾液を垂れて、柴雲は択端の纏足を夢中で舐めしゃぶっていた。

「柴雲殿、ここをこんなに猛らせて……
 択端、足でして差し上げなさい」

 後ろから回された舜琦の手はいつの間にか柴雲の着衣をくつろげ、陽物を弄んでいる。器用な事に舜琦は片手間で択端の左足を解放し、両の足を幹に添わせて何度か擦る。柴雲の陽物はこの先与えられる刺激への期待で見る間に露を滴らせ始めた。

「女の陰門とは比べ物にならないだろう?
 男を悦ばせるために作りあげた択端の身体、
 この金蓮も、柔らかく蕩かした裏門も、
 柴雲殿、全て君の物だ……!」

 舜琦は言いながら、択端が咥え込んでいた張形を引き抜いた。択端はのけぞって震える陰茎から精を放ち、柴雲の固く漲った陽物を足で強く挟み込む。柴雲は呻き身を離そうとするが、後ろから抱き込んだ舜琦がそれを許さず、諸共に腰を使って択端の足の隙間に抽挿を強いた。柔らかい足の裏の肉と曲げ込まれた指の骨が交互の刺激となり、止まらない先走りの露のぬめりを借りて柴雲の陽物を攻め立てる。眼前の張形を抜かれた択端の裏門は内部の粘膜を赤々とさらし、不随意にひくつく様から目を離せない。

「柴雲様、来て……」

 大きく股を広げ、震える脚を伸ばして柴雲の腰を引き寄せながら択端が囁く。腹に付く勢いで反り返り猛り立った柴雲自身に指を這わせ、舜琦が「私に成り代わって、択端をよがらせてやってくれ」と促すのに一つ頷き、柴雲は裏門に先端を押しあてた。

「択端……」

 名を呼び、目を見て唇を合わせる。途端に択端の目はとろりと蕩け、首の後ろに手が回される。湿った音を立てて口を吸い合い、舌を絡めながら、柴雲は一息に猛りを択端の身の内に突き入れた。

「ああ……ああ、柴雲殿!
 択端を抱いている悦楽が伝わるぞ!」

 背後で息を荒げ悦に入った舜琦の声。脚を大きく開かせて高く掲げ、柴雲の肩に乗せられた択端の足を嬲りながら、舜琦は柴雲の身体をまさぐってくる。じゅる、と卑猥な水音を立てて舜琦が足を苛むたび、択端の中は陽物に絡みつき精を搾り取ろうとするかのようで、柴雲は打ちつける腰の動きに歯止めが利かなくなる。

「択端、どうだ?
 張形より、私より、
 柴雲殿の身体が悦いのだろう!」

 恨み言めいた調子で詰りながら択端の足に歯を立て、芯を持って揺れる陰茎を扱いて、舜琦は択端の快楽を増幅する。択端の口からはもはや意味のある音など出てこない。切れ切れの母音と息遣い、掠れた喘ぎと、柴雲の口との間で起こる濡れた音だけが舜琦の問いに応え、次第に忙しなく刻まれる肉のぶつかる音がそれを伴奏する。柴雲の頭の中は熱で白く飛び、精を放ちたい、その一心で択端の中を激しく穿った。獣の鳴き声にも似た、理性を失った声を抑えることもせず、柴雲は深々と択端を貫いて最奥に欲をぶちまけた。

「択端、よかったな?
 お前は精を注がれるのが一番好きなのに、
 長い間待たせて済まなかった」

 慰撫する手つきで択端の涙を拭い、貼りついた髪をそっと除けて舜琦はまだ息も整わない択端の口を吸う。柴雲は思わず手を伸ばし、二人を引きはがした。

「舜琦殿、今夜で譲って下さると」
「ふふふ、柴雲殿、勿論だとも。
 ではもう私は手を出すまい。
 思う存分交わって……私に失った欲を思い出させてくれ」

 舜琦の言葉の終わりも待たず、柴雲は繋がったまま択端を抱き上げた。萎え切らない陽物に中を抉られ、択端は高く鳴いて柴雲に縋る。手を伸ばし、足裏の溝に指を挿し入れてくすぐりながら目を合わせ、大きく突き出した舌を擦り合わせる。律動はすぐに元通りの調子で刻まれ、ふたりは互いの身体に我を忘れて夢中になった。

「柴雲殿、択端を愛して……手放さないでやってくれ。
 私の作品、血を分けた子であり弟……
 何より君に継いでもらいたい私の蓮よ」

 聞かせる気もないのだろう舜琦の呟きは聞き流し、柴雲は択端の股を大きく開かせて身の内に喰い締められた己が陽物を見せつけた。譲ったことを後悔しても遅い。択端の身体、髪の毛から歪められた爪先に至るまで、今夜から先は全て柴雲一人のものだ。舜琦の目を見据え、択端の唇を貪りながらしとどに濡れるその陰茎を扱いてみせる。嫋々と鳴く択端と息を荒げて貪る柴雲、絡み合うふたりから目を逸らさず、舜琦は口角を吊り上げた。