「あれ、崎谷は?」
「健康診断に直行です」
「あ~、こないだアンタら二人一緒に行く
とかねーわっつったやつか。
崎谷、結局全然太れてなかっただろ」
「そうなんですよ……。
量食べる習慣がない上に
がっつり系があんまり好きじゃないみたいで」
「宮代クン、今の匂わせ」
那須さんのダメ出しを真摯に受け止める。
週末ごとになるべく来てもらって食事を共にしてみたものの、一ヶ月ちょっとでどうにかなる訳もなく健康診断の当日を迎えた崎谷くんである。フロアの皆さんにも公表、協力を仰いで、那須さんなどは面白がってお子さんのために買った幼児用おやつをあげていたようだが残念ながら効を奏した気配はなかった。
真哉の相手もストレスだったのかも知れないし……。
謎の勢いで崎谷くんを見初めた真哉はその後本当に我が家に通ってくるようになった。残念ながら今のところは毎回崎谷くんと一緒、待ち合わせのような有様だ。
姉が「宿題をちゃんとやったら行っていい」とルールを設定したのも裏目に出た。真哉は宿題を持参し教えてくれと強請る悪知恵を働かせ、おれを早々に見限って崎谷くんを頼るようになった。当然こんな場合にも手を抜かず誠実に、頼れる教師役を務めあげる崎谷くんは真哉と姉の信頼を更に上積みで得てしまい、恋人として過ごせるのは真哉を帰した後の数時間のみ。それに欲求不満を感じる、くらいには崎谷くんとそういう接触をする機会は持てるようになっている。
問題は、おれの『勃起』障害が『射精』障害になりつつあるということだ。
◇◇◇◇◇
「ん……っ、ふ、あ……ん、む……
ぜんじさん、きもちいいですか……?」
口を開ければ最後みっともなく興奮しきって動物じみた声がとめどなく出てしまいそうで、必死に頷きだけで答える。気持ちよく、ない訳がない。食事よりずっと熱心に、口を大きく開けて性器に舌を這わす崎谷くんの様子は、確かに本人が言うように快感を覚えているように見える。
『奉仕』というイメージしかなかったフェラチオを、過去の恋人にはしてもらったことがなかった。得られるだろう快楽への期待より無理強いの罪悪感のほうが強かったからだ。崎谷くんがしてくれるのも最初は随分気が咎めたが、「口で愛したい」と言ってくれた言葉通りていねいに夢中で舐めしゃぶってくれる様にすっかり中毒してしまっている。
「ん、む、んんっ、ん」
「さ、きやくんっ、
あ、うぅっ、あ……っ」
上気した顔で、口中に招き入れては先端のくびれまで一気に引き抜いて、を繰り返し、時折涙にとろけたような上目遣いでおれを窺う崎谷くんに心臓が絞られるような興奮を覚える。目尻に溜まった涙を指ですくい、こめかみから耳の後ろ、うなじまでを辿って髪を梳き、撫でると、震えて跳ねる身体、きゅ、と吸い上げが強くなる唇がたまらない。両手で、十本の指で陰嚢を愛おしんで、唇の後を追い筋をぬるぬるとなぞって、射精を促す動きに耳の奥が痺れ、音が遠のいていく。
このままじゃ、崎谷くんの口に――。
途端、ざあっ、と下肢に凝った熱が退いていった。崎谷くんにも伝わってしまったのだろう。名残惜しそうに口中で転がし弄んだ後、鈴口に音を立ててくちづけ切り上げる。
「……がまんじ、カウパー……先走り、は
出てたんですけど……」
残念そうに言う崎谷くんをベッドに引き上げキスをする。変な味を残してしまっていたら申し訳ない、そう思って舌で探ってみるが、あまりよく分からなかった。
「んっ……俺は、
飲ませてくれてもかけてくれても嬉しいのに。
それにアレだってたんぱく質ですよ」
「また君は、そういう……」
悪戯っぽく笑いながら首に手を回し言う崎谷くんは、冗談めかしてはいるががっかりしたんじゃないだろうか。自分も悦いからしているんだ、と言ってはくれても、こう毎度不発に終わってしまうとやり甲斐がない、と感じないか。
それなら、お返しにおれも「口で愛して」みたらいいんじゃないか?
崎谷くんがおれにしてくれるほど上手くはできなくても、少しでも気持ちよくなってくれたら嬉しい。崎谷くんの感じている顔や声を、しっとりと汗ばんで赤らむ肌を、そしてまだあまりよく見せてはくれない性器を愛したい。
無理に暴きたい訳じゃない。名前を呼ばれたくないという意味も、あんな顔をこじ開けて問いただしたいなんて思わない。ただもう少しだけ、おれに預けてくれないか――信じてくれないか。今までは同性に想いを向けることがなかったおれを信じ切れないとしても仕方ないが、今はもう崎谷くんに夢中だってことを身体でも伝えたかった。
「善爾、さん?」
「ね、おれも、舐めたい」
体重をかけないようベッドにそっと押し倒し、キスの合間にささやく。促すように内腿を撫で目を合わせると、みるみるうちに顔を赤くしじたばたと胸を押し返してくるのがかわいい。
「だっ、大丈夫ですっ!
俺は、だって宮代さんはゲイじゃなくて」
「崎谷くんのを、舐めたい」
焦ると苗字呼びに戻ってしまうのもかわいいが、ここは我を通したい。頬を辿って耳へ、耳殻へごく軽く歯を立てながら重ねてねだる。
「あ……っ、や、耳、ずるい……っ」
「耳じゃないところは? ダメ?」
「やだぁっ! ダメ、にきまってるっ」
「崎谷くんはしてくれるのに?」
「~~~~っ、うぅ……
俺、前はあんまり触らないんです……っ」
「? 後ろ、の穴なら舐めていいの?」
「!? ダメ、ほんとにダメです、
今日はまだ普通の、出るところなんで」
茹で上げたように耳まで赤くなって、必死に拒む姿を見てしまうとこれ以上強いることは出来ないな、と少し身を起こす。後ろなら、然るべきタイミングであれば許されるんだろうか……然るべきタイミングとは、と思いを巡らせていると、頭を胸元に抱き寄せられた。顔を見られたくないんだろう、と、そのまま腕を回して抱きしめる。
「あの、舐めてくれるなら……
乳首、してほしいです」
乳首。授乳のための育児用品ではなく人体についているほうの。ああ、それで胸に、招いてくれたようなものだったのかと理解できた。抱き起してカットソーの裾から手を入れ、撫で上げていく。心得顔に裾を咥える崎谷くんだが、それではおれが物足りない。
「悦かったら、声が聞きたいから」
「……はい……」
しぶしぶ、の様子で解放された口に一つ音を立ててキスをして、肉付きの薄い身体に唇を、指を這わせていく。珍しく――初めてかもしれない、崎谷くんに望まれて触れることを許されたそこに安易に辿り着きたくなかった。
胸の真ん中、あばらの隙間、肩甲骨。くっきりと浮き出た骨を撫でて、小さく粒だった乳首を眺める。自分にもついているもの、普段全く認識しないようなその部分が、崎谷くんの胸で微かに震えているだけでこんなにも煽られるものか。薄く乗った色素の下から血色が透けて見えるそれに、そっと舌を乗せる。
「ふ……っ」
「こう、でいい……?」
「もっとして、
キスの時みたいに、してください……っ」
華奢とも言えるような身体を反らせて、胸をおれの口に寄せるような姿勢で、震える声で崎谷くんが強請る。キスの時みたいに、もっと吸い付いて甘噛みして、淫らな器官として扱っていいのか。
もしかして、ずっとしてほしいと思っていたのに言えなかったんだろうか。
口を開けて、乳首全部を含む。見ないで、は少し難しいが反対側は指で、舌の動きをなぞるように、固く丸めるように弄る。頭の上でたぶん口を引き結んでこらえているくぐもった声。もっと、構わず声を聞かせてほしい。乳首に唾液をまぶしてぬるり、と舌で撫で唇で挟む。促すように背骨をひとつひとつ手のひらで辿ればそのたびに、小さく跳ねる身体とこぼれだす声に思わず笑んで意図しない刺激を送ったようだ。
「あっ、あぁ……ん、あ、やっ、
みやしろさ、ぜんじさん、
下、脱がせてっ……」
「……いいの?」
「よごれちゃう、あぅ、んっ
イッちゃう、のに」
自分じゃ出来ない。焦って半泣きになっている崎谷くんを眺めていたい邪心を押し殺し、慌ててジーンズをくつろげ下着を引き下ろす。充血し、露をまとって飛び出してきた性器――目が離せない。
口に含んで、舐めて、しゃぶって、イかせたい。
強い衝動に目が眩む。ダメだ、あんなに嫌がっていたのに。必死に欲を抑え込み努めて優しく声をかける。
「触っていい?
……乳首と一緒に」
既に冷静な思考、判断力が鈍っているのだろう、真っ赤な顔の崎谷くんは言葉も出ないように忙しなく頷いた。
先走りのぬめりをまとわせて陰嚢を持ち上げ、裏筋を指先でくすぐって、雁首を輪にした指で何度も往復する。切迫してくる喘ぎ声、殊更に品のない大きな音を立てて固くしこる乳首をすすり追い詰める。
「あんっ、んっ、ぅ、あぁっ、あ、あ……っ!」
吐精し腕の中で脱力した崎谷くんを、細心の注意でベッドに横たえる。おれの手から溢れた白濁が弾んだ息で上下する腹にまで散って、かわいそうで、かわいい。たまらず手も腹も、臍に溜まった液まで犬のように舐め回して、我に返った崎谷くんに涙目で詰られる事態に陥った。
◇◇◇◇◇
「……あのさあ……
宮代クン、おま、ほんと何つー顔……」
「え? 何かまずいですか?」
「鼻の下!
スケベったらしいの引っ込めろ!」
言いながら背中を平手で張られるのは、結構痛い。
「一回りも若いのと付き合ってて、
アンタの方が浮かれてるとかマジありえねー」
「つきあっ……いや、その……」
「匂わせで牽制してた、んじゃないとしたら
もっとありえねーわ。
そのだらしない顔でバレてないとでも?」
そんなに顔に出してしまっていたのか。那須さんは苦々しく思いながらも今まで静観してくれていたのだとしたら、ご心配をおかけして申し訳ない、とまた平謝りしなければならないところだ。
「崎谷がここに来た経緯を思い出せ。
会社にバレて『社内恋愛にうつつをぬかして』
なんて言われたらやべーってことぐらい気ィ回せよ」
全て全く仰る通りだ。おれは、うつつをぬかして、我を忘れて、のぼせあがって、状況、事情を完全に放念していた。
「……アンタが崎谷を大事にしてるのはわかってるよ。
男同士だから隠しとけ、とか言いたいんじゃない」
だけど、アンタ不用心すぎるんだよ。
不肖の弟をたしなめる時の姉と同じような顔で那須さんは言った。
わかっている。那須さんはおれ達――どちらかというと崎谷くんを心配して、職場の同僚という立場をあえて踏み越えて言ってくれている。「男同士だから隠しとけ」、那須さんの本意ではない言葉だろうけど、『この会社では』結局そうせざるを得ないだろうと言うことをあまりにも理解していなかった。
崎谷くんも、恐れていたんだろうか。
おれが名前で呼んでくれと強請った時も、名前で呼びたいと迫ってしまった時も、おれ達の環境を憂慮していたのかもしれない。
「バーカ、そんな顔色で仕事入ったら
あーしがいじめてまた女怖くなったみたいじゃねーか」
またひとつ、背中を叩かれる。
「言っとくけどアンタらが男女で付き合ってる、
崎谷が女だったらあーしは全力で別れさせてるからな」
「え、あ、そ、うなんですか」
「新卒で働き始めたばっかりの女が
のぼせ上った職場の上司に手を出されて
うっかり妊娠でもしたら?
ってなのは、そりゃ止めるだろ」
息を飲み、咽る。男女の場合に置き換えたらそれほどの『有り得なさ』、ひどい行いを考えなしに、おれは。
「……ありがとう、ございます」
「礼を言われる場面じゃねーよ。
アンタらは会社で色ボケしなきゃいい、
ってだけだ」
「はい……」
「あー、もう! しゃんとしろよ!
崎谷、どうせ体重で引っかかって帰ってくるだろが!
対策でも考えてろ!」
着席を促す手の動きを追う流れで時計を見ると既に始業時間ぎりぎりになっていた。最近こんなことばかり、崎谷くんがその分バリバリ働いてくれるからといっても、おれの方は色ボケ、ぶったるんでるとしか言いようがない。
崎谷くんに、会いたい。
謝りたい、相談したい、話したい。独りよがりだったおれを改めて、不安にさせないように――せめて、不安を話してもらえるように。
今は空いている崎谷くんの席に目をやり、決意を新たに起動した画面を見ると会議の予定通知が届いている。今のおれは会議らしい会議に出席する機会も必要もあまりない。通知が来たならそれはイコール呼び出し、平身低頭で嵐が過ぎ去るのを待つようなしんどい時間が目に見えているのだが今回のこれはどう転ぶんだろうか。
午後いちで、人事部との会議が設定されていた。