※攻めの自慰描写があります※
洗浄目的以外で、これを久しぶりに触る。
このところ――崎谷くんと所謂お付き合いということに至ってからというもの、長くご無沙汰だった感覚が少しづつ戻ってきた、ような気がする。逆にもし欲求が正常に身体の反応として表れるようなら、おれは職場でわいせつ物陳列罪を犯していたかもしれない。
どうかしている、よくないことだと思えば思う程、崎谷くんの泣いている顔を鮮明に思い出し、腹の底に熱が澱む。仕事中目が合うと嬉しそうに笑ってくれるのも、少し眉をひそめて心配してくれる時も、苦手分野の力仕事で気まずそうにしている様子さえ普段は崎谷くんに対して「かわいい」とばかり思うのに、欲情のきっかけになるのは一度だけ垣間見た涙だ。
泣かせたいなんて、決して思っていないのに。
まだ力なくたぐまっている性器を握り、手を上下させる。単に触っているだけの感触を、淫らなことをしている、と意識の上で置き換えていく。陰嚢を撫で、血管をなぞり、雁首を輪にした指できゅっと締める。目を閉じてシャツを濡らした崎谷くんの涙、薄赤くにじんだ目元を思い浮かべる。
途端、ドッ、と音がするほどの鼓動を感じる。血液が打ち出されて身体中を巡る感じ。だらりとしていた肉の塊がしごく手の中で一本の竿になってゆく。
「っ、う、あ……っ、さきや、くんっ……」
武骨な自らの手ではなく、明るいオフィスの光の中きびきびと動くすらりとしたあの手が、今おれのものを弄っていたら。そっと指を絡め、擦って、にじみ出る液がまとわりついて――。
大きすぎて怖い、と涙を浮かべる崎谷くんが明確に想像できてしまった。
これは、もう、ダメだな……。
涙ならなんでもいい、という訳でもないらしい。すっかり萎えてしまったものを下着に収め、手を洗いに立つ。それでも全くその気にもならなかったところからすれば、芯を持って立ち上がるまで状態が変化したのは御の字と言えるだろう。
崎谷くん、勝手にオカズにして申し訳ない……明日、挙動不審にならないように気を付けなければ。
◇◇◇◇◇
「遠かったでしょう、ごめんね」
「会社に行くのとあんまり変わらないくらいですよ」
それより、休日にお邪魔してしまってすみません。
手土産を渡してくれつつ崎谷くんが言う。実にスマート、如才ないとすら言える振る舞いに、いつものことながら自分のこの年頃を思い出し比べるといたたまれなくなる。
しかし、である。一応今日は『おうちデート』という体ではなかっただろうか。おれもそれほど多くのお付き合いをこなしてきてはおらず、過去の相手はお出かけを好む人が多かったので家に来てもらうのは初めてなのだが、もう少し何かこう、普段のやり取りとは違う感じの雰囲気や何かが出てくるものなんじゃないのか。
「あの、俺、図々しくなかったですか」
「え? え、図々しくなんかないよ、全然、全く!」
「いや、その、ごめんなさい。
こんな聞き方じゃ否定してもらうこと前提みたいな……」
赤くなって、髪で顔を隠すようにして、迷いながら言葉を選ぶ崎谷くんは、会社では見ることができない、おれにしか見せない顔をしている。
こんな崎谷くんを、家に連れ込んで大丈夫か?
普段通りに感じたのは努めて装っていただけで、おれがどう思うかを心配して動揺して――目の当たりにした『恋人としての崎谷くん』にかわいい、だけじゃすまない、不穏な熱が身体の中で高まっている。
昨夜実証した通り男性機能はまだ不具合のままだ。無理やりどうこう、なんてことは流石に起こらない、おれだってそこまで理性を飛ばすとは思いたくないが、このガタイで迫ったりのしかかったりしてしまったら……。
つい考え込んでしまった様子が不安を与えてしまったらしい。崎谷くんは一歩距離をとり俯いてしまった。違う、崎谷くんのせいじゃなくて、否定したいがそれにはおれのよからぬ衝動を曝して説明しなければならない。
「来てくれるの、楽しみにしてたんだよ。
実は料理も仕込んでみてます」
「ほんとに……?
宮代さん、料理得意なんですか?」
「一応、自分の身体は自分で作る、の意味で
それなりにやらんではない、ぐらい。
だから今日のも若干高たんぱく筋肉増強な感じに
なっちゃってるんだけど」
「あはは、もしかして俺の健康診断対策ですか?」
「……ちょっとだけ、ね」
「ふふっ、ありがとうございます!
俺も体重計買ったんですよ」
よかった、笑ってくれた。ごまかしたようで気が咎めるが「我を忘れて君に襲いかかったらどうしようかと危惧していました」なんて言える訳もない。
「駅からちょっと歩くんだけど、
途中にあと一軒コンビニはあるから。
何か欲しいものあったら寄っていこう」
「……いえ、特に、大丈夫です」
微妙に間があった、気がしたのは考え過ぎだろうか。探るように見てしまったかもしれないが、笑い返してくれたその顔にはさっきのような影は見えず、少し安心する。
浮わつき過ぎだ。折角来てくれた崎谷くんが、楽しんでくれたり、くつろいで時間を過ごして――出来ればまた来てくれるように。おもてなしのことだけ考えよう。
◇◇◇◇◇
「善爾、ごめんって……。
緊急避難だったからさあ……」
「……いや、別に。
しょうがない、のはわかってる」
そう、仕方ない、如何ともし難い事態だったと理解はできる。おれが着信に気付いていなかったのも悪かった。アポなし突撃、とまでは言えない状況ではあるがしかし。
「なんで崎谷くんに真哉を連れだしてもらう
なんてことになるんだよ姉さん!」
「真哉に聞かせられない話だからでしょうが!
悪かったって言ってんでしょ!!」
逆ギレも大概にしてほしい。
駅から歩いて10分ほどの我が家に着くまでは順調だった。投げ売りの体重計を買ったらキャラクターの声が入っていた、と面白そうに語る様子はおれと一緒の時間を楽しんでくれている、と思えた。あとはおれが変な暴走をせず、おかしな空気にすることなく過ごせれば……。その矢先に「善爾、悪いけど今日一日居させて!」という姉、真弓と甥の真哉に遭遇してしまったのである。
「また父さんが真哉を引き取る、みたいな話をしてるの?」
「そう。平日は会社の人が止めてくれてて安全なんだけど、
休みになると急に来たりしてね」
離婚に向けた準備を進めている姉にとって、目下最大の敵は夫より実家の父である状態は相変わらずらしい。気楽な三男、かつ結婚が白紙になった顛末などでほぼ勘当状態のおれとは違って、姉に対しては今のところ唯一男児の孫である真哉を取り込むべく躍起になっているようだ。
「こう言っちゃなんだけど、
利用するとこは利用させてもらえば?
真哉には甘いジジなんでしょう」
「甘やかす上に向こうの悪口、
まだあんまり聞かせたくないようなことまで
吹き込むから会わせられないって言ってあるの」
その辺が「真哉に聞かせられない話」なのか。
離婚の原因は夫の不倫だと聞いている。現在10歳の真哉の妊娠中から関係していた女性と、姉との離婚が成立し次第再婚を予定しているとのことで、それは情報の開示レベルに神経を尖らせる必要があるだろう。
生まれた時から成長を見てきた、おむつを替えたりひと夏寝食を共にしたことすらある甥の問題だ。おれとしても、なるべくなら彼のストレスが軽くなる出来る限りの協力をしたい。
したい、が……。
「今日、じゃなくても……」
「いや、それは、ほんとにごめん。
ていうか休みに部下を呼びつけるとかパワハラでしょ。
真哉を連れ出してくれたのも
アンタと二人きりじゃ気づまりだったんじゃないの?」
パワハラ。気づまり。そんなことはない、と強く否定したい。だが否定の根拠として「崎谷くんは部下ではなく恋人になった」と軽々しく言えはしないし、それに、気づまりは、そうだったのかもしれない。
否定してくれる、おれをかばってくれる崎谷くんは今ここにはいないのだ。
「え、やだ、そんなに凹むところ?
崎谷くんって、あの徳の高い崎谷くんでしょ?
だいじょぶだいじょぶ!」
「徳の高いってなんだよ……。
頼むから変な事崎谷くんに言わないでくれよ」
「なんか随分仲良くなってない?
アンタとこうやって元通り話せるのも
崎谷くんのおかげなんだよね?
私もお礼したいし、戻って来てもらおう」
「はあ!? それこそ気づまりだろ!
別にうちに居なくてもどこか行くとか」
「真哉もアンタに久々に会えるって 喜んでたんだよ?
悪いけどもうちょっと付き合って」
結局おれは、恐怖に駆られることがなくても女性には負けっぱなしだ。姉はたぶん、崎谷くんをひどく気に入ってしまうだろう。若くて、イケメンで、おれをまともな状態にしてくれた。加えてもし真哉と上手く話してくれていたりしたら――。
絶対に、恋人だなんて言えない。
◇◇◇◇◇
「ええ~、すごーい!」
案の定、この様だ。崎谷くんはすっかり会社での様子と変わらない顔で、降って湧いた災難と言ってもいいような姉との会話をスマートにこなしている。姉に対してはしゃいで見苦しい、と感じるのは嫉妬、わかっているが、せっかく来てもらったのに既におれより沢山しゃべっているだろう現状に苛立ちが募る。
「善爾くん」
「あ、ああ、真哉。
ごめんな、追い出したみたいだったよな」
「なんか、ごめんね。
崎谷さんとっちゃって」
崎谷さん? とっちゃって……?
年齢の割に他人の機微に敏いところがある、そう育たざるを得なかった子だとは思うがそれにしてもまだ10歳。真哉に察されるほどあからさまに顔や態度に出ているとしたら大問題だ。
「さ、崎谷くんとは何話したんだ……」
「ん、善爾くんのこととか」
おれのこと!?
それは、噂話、のような意味だろうか、それともまさか、不満を述べ合うような……?
「崎谷さんも、善爾くんのこと大好きなんだね。
会社での話とか色々してくれた」
「ちょ……っ、真哉くんっ!!」
姉と話していたはずの崎谷くんから、焦ったような声が飛んでくる。薄赤く染まった顔、そつのないさわやかな好青年が突然目の前でそんなにかわいいギャップを見せたら、姉は。
「アラッ! 真哉とも仲良くしてくれたの!?」
……ますます浮かれてしまうに決まっている。真哉くん呼びにしたって、恋人たるおれですらまだ「宮代さん」なのに。会社ではじまったお付き合いだけに、もしかしたらこの先ずっと呼ばれ方は変わらない可能性もある。
「ね、僕これからも崎谷さんと遊びたい!
善爾くんちに来れば会える? また来てくれる?」
「あそっ、えっ、真哉くん、
さっきの、なんか楽しかった!?」
一体、何の話を、なにをしていたんだろう。また来てくれるか、なんて、おれが言いたかった。短い時間でよっぽど崎谷くんに懐いたってことか……崎谷くんは、どうなんだろう。
「あのっ、宮代さん!」
「……え……?」
「差し支えなければ、またお邪魔してもいいですか?」
じっとおれを見つめて、常になく忙しないまばたきで、しきりに顔や首を触りながら……?
違うかもしれない。おれの願望かもしれない。しかしそうであったらいい、と、答えを口にする。
「もちろん、ぜひ来てほしいよ。
真哉もうちに避難してきていいから、
事前に来る日を教えておいて」
瞬間、崎谷くんが全開で笑ってくれたので、きっと以心伝心が成立した、のだろう。
◇◇◇◇◇
先の約束を取り付けて真哉が安心したからか、ほどなく姉たちは帰っていった。去り際に「ごめんね~! あとは二人で、仕事の話なんかもあるんでしょ?」とにやついていたのが怖いと言えば怖い。
本当は、恋人だと話してしまいたかった。恋人だからうちに来てくれた、おれに会いに来てくれたのであって――真哉にそう言って圧をかけて、遠慮しろとは流石に言えなかった。
「崎谷くん、真哉がいない日にもまた来てくれる?」
なんとなく顔をまともに見られなくて、キッチンから話しかける。さっきの合図はそういうことだ、と解釈したのは本当に正解だっただろうか。
返答がない。不安になりリビングの様子を窺うと崎谷くんがいない。
「……どうして」
「うわぁっ!?」
「真哉くんがまた俺に会いたいなんて思うのか、
本当にわからないんですよ」
背中のすぐ近くで声がした。振り向いて、顔を見て聞こうとする動きをそっともたれることで制される。
「会社での宮代さんの話をした時に、
しばらく会えなくて寂しかった、って言ってました」
「……真哉が?」
「俺は毎日会えるって、自慢になっちゃったかもしれない。
ご両親の事情もほとんど理解してて……
俺抜きで宮代さんに会える方がいいんじゃ、って思うけど」
譲ってあげられそうにない、俺だけの日が欲しいです。
小さな、シャツに吸い込まれて消えそうな声に今度こそ振り向いて抱きしめる。おずおずと伸ばされた手でためらいがちに抱き返されて、受け入れられたような気がして、身を屈め俯いた顔を覗き込む。
「キスを、してもいいかな」
鼻先をくっつけて、目を合わせて、許しを請う。衝動任せではなく、崎谷くんにも求められてしたい。強くそう思った。