10.赤く染まる頬

※恋愛感情に絡まない女性キャラクターが登場します※

「キリ、あんた……!」

 ウタラの家の扉を開けるやいなや、母、アイルが突進してきた。勢いよく両手でキリの顔を挟み、聖獣の色を宿した目を覗き込んでくる。ぴしゃりと音がしたほどの両手は下手をしたらキリの頬に赤い手型を残すかもしれない。想像したのかカナンは俯いて顔を反らし、笑いをこらえるのに必死のようだ。

「アイル、まず家に入れてあげて」
「あ、ああ、そうだよね。
 キリ……カナンも、久しぶりだね」
「母さんも、元気そうで」
「すっごい勢いだったもんなー。
 キリ、オトコマエになっちゃうんじゃねえの?」
「え? あっ、ごめん! 顔、引っぱたいちゃった!?」
「何か冷やすもの、作ってあげるわね」

 何を恐れていたというのか、のっけからのどたばたにキリ自身はかえって冷静になっていた。母が、心配が過ぎて勢い余ったり、目先のことを見失ったりする本当の姿を見せてくれたのも大きい。母が案じても、どれほど反対しても、キリはカナンと儀式を乗り越えたいのだ。キリは一瞬目を閉じ、腹を括った。正直な気持ちを隠さず話したい、聞いてほしいと強く思う。

◇◇◇◇◇

「キリ、あたしだけ帰って来ることに
 なっちゃってごめんね。
 父さんとふたりいっぺんには抜けられなくて……」
「ムルニは身体が大きいから、
 こっそり島に帰るのも難しいものね」
「ウタラ……そういうことじゃないの」

 母とウタラのやりとりに少し自分とカナンのそれを感じて可笑しくなる。当たり前だが母にも友達がいる、自分の母親というだけの存在ではないのだ、とキリはウタラの作ってくれた氷のうをあてながら思う。隣からはカナンが冷たさを喜んでつついたり手をあてたりとちょっかいをかけてくる。カナンなりにキリの気を紛らわせ、元気づけようとしてくれているのかもしれない。

「その目……選定の儀はもう済ませてるんだよね?」
「うん。俺が聖獣でカナンが魔女。
 俺は……俺たちは、儀式を楽しみにしてるぐらいだ」

 カナンに目をやると力強い笑みが返ってきた。力を得てキリは母を見据え言葉をつなぐ。

「父さんと母さんが儀式に反対して
 外にいかなきゃいけなくなったのかもしれない、
 って思ってる。だとしても……」
「待って待って、キリ。
 何からどう言えばいいかな……」

 手で制しながら考え込む母をキリは驚きをもって見る。季節の変わり目に島に帰って来て数日共に過ごすだけの両親は、こうした迷ったり悩んだりする姿をほとんどキリに見せることがなかった。見せて不安を感じさせることのないよう心を砕いていたのだろう。そして今は、これまで見せなかった顔を見せてでも成長したキリに向き合おうとしてくれている。そう感じられるのだ。

「まず、あたし達が儀式……島のやり方に反対して
 島では生きていけなくなった、
 キリと引き離された、のはあんたの推測通りだよ」
「キリと……引き離された……!?」

 何故かカナンが気色ばみ、立ち上がる。ウタラがびくりと身体をふるわせたのを見てとりそれ以上は声を上げることなく再び座ったが、父母とキリの別離にカナンがそこまで反応するのは何故なのか。

「父さんは儀式の代の生まれでね。
 そのころはまだ島に同い年の男子がいっぱいいたから
 聖獣にも魔女にも選ばれなかったけど、
 選ばれた二人のその後が……。
 自分の息子にはそんな思いをさせたくないって」
「儀式の代?」
「ほんとは、聖獣と魔女の儀式は十五年に一度なの。
 ラダ達から二十年空いてしまったのは、
 男の子が二人揃わなかったからなのよ」

 キリの疑問の声にウタラが補足する。確かにガラムと、キリとカナンの間の年頃で島に残っている男性はいない。ただ一方で、都合がつかない時は決められた間隔を守れなくてもいいぐらいのものなのか、とキリは眉をひそめた。

「……じゃあ、やっぱり
 おれがいなければ、キリは父ちゃん母ちゃんと
 離れて暮らさなくてもよかった、ってことか?」
「カナン? 何言って……」
「おれが島に捨てられてたのは、
 キリの儀式のために
 からじゃないか?」

 俯いて髪で顔を隠し、カナンは苦しそうにつぶやく。キリは氷のうを放り出し、俯いた頭ごとカナンを抱きしめた。カナンが島に来なかった場合は考えようがない。例え生まれた時点では儀式のため等という力が働いていたとしても、今はもうキリにとってただひとりのカナンなのだ。
 ひとりで抱え込むな、と俺に向けて言ってくれたじゃないか。顔を上げないカナンを抱く腕に力を込め、キリは思いを伝えようとする。この場にふたり以外の人間がいることを瞬間完全に忘れていた。

「あ~、もう!
 この役目は男親向きじゃない!?
 こっ恥ずかしくって見てらんないよ……」
「目隠し、貸してあげましょうか?」
「……いや、耐えるわ。
 キリ、カナン! あたしはね、
 もうあんた達を引き離そうとか儀式をぶっ壊すとか、
 そういうことは考えてないから。
 話を聞きなさい、ひっついててもいいから!」
「……はい……」

 ひっついててもいい、とのことなので、カナンには背中側にまわってもらい、氷のうあて係に徹してもらうようにした。

「島から追い出されるにも順番、過程があってさ。
 キリが産まれるのとカナンが島で保護されたのは
 ほとんど同じタイミング。
 それで『儀式ができる!』って盛り上がって、
 あたし達が断固反対したのが次」

 手で区切るような身振りを見せながら整理して話す母を、カナンはどう見ているだろうか。後ろに目をやると、少し気まずそうに顔を赤らめ「話聞けよ」と責めてくる。うなずいて目を前に戻すと母は話を再開した。

「反対しながら島で子育てしてた期間が
 一年足らずくらいはあったかな?
 だからね、カナンのせいで引き離された
 なんて言うもんじゃないの!」
「島にいるうちはアイルが
 『双子が産まれたってことにするわ!』って
 お世話をしてたのよ。
 いなくなってからはヒジョ様と
 ガラムくんが見ていたのだけれど」

 母の昔語りにウタラが補足する形で物心つかない頃が語られていく。キリの背中でカナンはだんだんに氷のうあてをおろそかにし、しまいには背中に顔を埋めてしまった。

「最終的に追い出された直接のきっかけはね、
 数年に一回級の大嵐が来て、儀式の仮宮が壊れた
 のをあたし達の反対のせいにされたからかな」
「え? 俺たちは今、仮宮で寝起きしてるけど……」
「建て直したんじゃない? 知らんけど」
「儀式に反対するような者がいたから大嵐が来て、
 結果被害が出て仮宮が壊れた……と
 主張したかったのではないかしら」

 結局は将来の儀式要員を、反対する親から引き離して手元に確保したかったのでしょうね。ウタラがやわらかな口調に似合わない穿った分析で要約する。

「……そういうの、じいちゃんが仕切ってたの……?」
「いいえ。長老……ヒタム様はどちらかというと
 間に立って穏便に解決しようとしていたわ。
 そのころはまだ長老ではなかったし」
「ヒタム様は儀式の子、聖獣か魔女を務めた方だから。
 反対するのも分かるが、って感じだったよ」

 一連の話で両親が島から出て行き、キリと別々に生活するに至った経緯は理解できた。では何故、母は今こうして無理に秘密裡に島へ帰って来たのだろうか。やはり儀式を阻止するためではないのだろうか。

「母さん……」
「キリ。そんな顔しないで。
 正直に言えばずっと反対していた儀式を
 どうにかぶっ壊せないか、って帰ってきたんだ。
 儀式の内容が……酷なことだと思ってたから」

 目をそらし、言いにくそうな母をウタラが支える。いかにも頑健な母とはかなげなウタラが、このひとときだけ入れ替わったかのような印象にキリは目を瞬いた。

「あんたがそれなりの年齢になって、
 自分で選んで男を相手にするなら何も言えないよ。
 でも島の儀式はそうじゃない。
 15歳で、得体の知れない力に勝手に決められて……。
 あたしも父さんも、許せないと思ってた」

 だけど、あんた達を見てたら……儀式に反対だ、ってのも当事者でもないのに傲慢なのかもって気付いたんだ。母は力なくそうつぶやいた。

「私もね、ラダがかわいそうだと思っていたわ」
「ウタラ……?」
「ガラムくんは一生懸命寄り添おうとしてくれたけど、
 どうしても……その、気持ちの上で抵抗があった
 のだろうなと想像していたの」
「違うんです! ラダさんも、ガラム兄も……」
「ええ。ごめんなさいね。
 儀式の子にしか、聖獣と魔女にしかわからない
 何かがきっとあった……私も傲慢だったんだわ」

 寄り添う年上の女性ふたりを目の前に、キリはいつの間にか隣に戻っていたカナンと顔を見合わせる。何か言わなくては、と思うものの、普段から口の回る方ではないキリにはこの場にふさわしい言葉を見つけ出すのは困難だ。口を開け閉めし迷っている間にするりとカナンに手をとられた。幾分湿ったその手を握り返す。それに力を得たようにカナンが口を開いた。

「キリの母ちゃん……。
 もし、なんてこと意味ないかもしれないけど。
 双子みたいにずっと育ててくれたとしても
 おれはキリに選ばれようってしたと思う」
「俺も! 俺だって……俺が、選ぶとかじゃない。
 カナンが好きだし、カナンに好きでいてほしい」

 儀式によって身体を交わす可能性を示されなかったとしても――カナンの言う通り、もし、に意味はないのだが――キリにとって最も身近で、親しく、愛おしい気持ちを抱くのは今もこれからもカナンだ。それは例えばキリとカナンのどちらかが女性に生まれていても、ふたりとも女性だったとしても変わらない気持ちなのだと、母に分かってほしかった。

「アイル、これ以上は野暮というものでしょう」
「だろうね。わかっちゃいるんだ。
 単にまだ子どもでいてほしいってだけなのかも。
 これじゃああたし達夫婦より仲が良いわ……」
「それは、ねえ、この子たちはまだ新婚さんだもの」

 ねえ、とウタラに微笑みかけられて、キリはじわじわと顔に熱が広がるのを感じる。こっそり隣を見ると頬を赤らめたカナンと目が合う。合うなり目を見開いて、慌ててばたばたと立ち座るカナンをキリは呆然と見つめた。

「キリ、顔! 手型!!」
「え? あれ、俺、照れてるんじゃないのか」
「ばか! ほら、これ当てとけ!」
「あらあら、アイル、これはちょっと
 あんまりなお土産じゃないかしら」
「ごめんって……
 あたしも聖獣と魔女の目を間近で見るの
 初めてだったし、ぎょっとしちゃったのよ」

 急に騒がしくなった家の中で、キリはぼんやりとなすがまま、再び氷のうをあてられた。心配そうに覗き込むカナンを見つめ返し、笑いかけてみる。不運な事故でたまたま派手に赤くなった、という程度の顔の手型をこんなに心配してくれる。気遣ってくれる。キリを……愛してくれるカナンと、できることは何もかもしたいのだ。

「キリちゃん、カナンちゃん。
 これ、氷あげるから。仮宮に持っていきなさい」
「ウタラさん、ありがとう。キリ、布でくくっとくか?」
「あああ、ほんとにごめんねぇ!
 それともふたりは今日うちで冷やしながら寝て
 あたしはここに泊めてもらおうか?」
「いや……冷やすのもそんなには……。
 仮宮でもあるし」

 なんだか大ごとになってしまったが、なんとなくもう話は済んだ雰囲気に流れていったのは助かった。キリはカナンに視線を流しながら「やらなきゃいけないこと」に含みを持たせる。母にもう儀式をぶっ壊すという考えがないのなら、残された時間で少しでも陰の気陽の気を馴染ませることに専念したい。……もちろんそれは建前の言い訳、本音は「昼の続きをしたい」とそれだけなのだが。

「……キリ、悪かったよ。
 ほっぺたも……儀式についても」
「ううん。
 カナンと俺のこと、母さんに聞いてもらえてよかった。
 ウタラさんとも話せてよかった」
「キリちゃん、私もよ。
 ラダの話を聞かせてくれて、嬉しかった」
「おれは……どうしよう。
 おれを信じて、キリをおれにくださいっていうとこ?」

 おどけてみせるカナンの、繋いだ手の手汗を、ごくわずかに声に混じる涙を、キリはどうしようもなく愛しいと思う。そんなことを考える相手は後にも先にもカナンだけだ。

「もう、あたしが考えなしだったってば。
 そういうのは……キリに直接言いなさい」

 父さんにも言っとくから、と言い置いて、母はふたりをウタラの家から押し出し扉を閉めた。

「……だってさ。
 キリ、おまえをおれにくれる?
 代わりにあげられるのはおれの全部だけだけど」
「……もうずっと、カナンのものだ」
「っ! ……じゃあ、おれはもうずっとキリのものか。
 それじゃあ交換になっちゃうだろ……」
「交換して、混じって、馴染んで……一緒に、いたい」
「なんかやらしいなぁ……」

 だけど、嬉しい。
 ひと言、つぶやいてゆっくりと目を閉じるカナンに誘われるように、キリはそっとその唇をついばんだ。